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 第二章 VSグリーディ・エンプレス、悦禍の烙印

 威圧的にのしかかる街路。
 ――ダンッ! 石畳を砕いて二つの軌道がぶつかり合っていた。一つは回転する独楽の如き旋風、いま一つは白焔を纏いジグザグに突進する矢である。
「敗北塗れのこんな現実は破壊し尽くしてやる! 勝つまで何度でもやり直しだよっ!」
「あっは、健気ね気丈ね勇敢ね! だけど私に勝つ? 冗談もいい所だわ、プリンセス。本当に冗談もいい所! 教えてあげると言った筈! お前はただの無力な女の子なの! その初恋はズタズタにっ。どんな未来を願っていても――悉く踏み躙ってあげるっ!!」
 ――ビュンッ!
 街路を縦横無尽に蹴りながら斬り掛かる少女を払う為、頭飾布ヘッドドレスの側部に付けた薄紫の羽根を踊らせて暴虐な戦女神が双頭の大鎌を振るう。炎を散らす横薙ぎの颶風。胴体を寸断せんと迫る魔鎌を、魔少女は俊敏に身を捩ることで躱した。重厚な刃が腹部の小さなコルセットを掠めて通り過ぎていく。その時に生じた風切り音は日本刀もかくやという鋭い物で、凶器が総鋼鉄製である事を鑑みると秘めた威力の恐ろしさを如実に示している。
「お前如きに蹂躙し切れるほどっ、私の果ては狭くはないさっ!」
 すかさず長柄の間合いに踏み込み、前傾姿勢で後方に流していた右上膊を巻き戻す。同時に腰を極限まで捻り左肘を引くと、頭上に掲げるつもりで右前膊を振り上げる。それに合わせた銀袮の玄裳ゴシックドレスが黒い絨毯を翻すのに似たしなやかさで形を変え、右拳から伸びた優美な丸みを魅せる剣の鋒鋩が相手の喉笛を抉るように突かれた。
 一撃を空振りした相手に痛打を躱す術はない。――筈であった。
 ――ビュンッッッ! 踊るように背中を向けたゾフィアが初撃を振り抜いた勢いを全く殺さずターンし、斬首のジェミニのもう一端で切り返してきたのは、まさにその時だ。
 ――ゴスンッ! 虎児の居ない虎穴。何かを突き抜ける音がして、身体がふわりと宙に浮く。横腹を狙われて咄嗟に進路を変えた剣士は、衣裳を引っ掛けられて壁に激突した。
「ちぃぃぃ、おとなしく斬られればいいものを、小物が余計な小細工をっ♪」
 口の端を拭ってすぐさま立ち上がり、注意深く敵の全身に観察の視線を這わせるランセリィは、その難敵さに気づいていた。ヴュゾフィアンカの斬撃に終わりはない。風車の羽の如く円を描いて回される双頭の大鎌は、第一撃を外しても半回転で第二撃を繰り出せるのだ。当然、二撃目が外れれば三撃目が来襲する。
 二段構えの悪魔の双子は一度身を引いて大振りの攻撃を避けてから踏み込む、などといった長柄武器相手の常套戦法を封じ、幾度身を躱そうが執拗にを剥いて喰らいついてくる。それは死の到来を刻む時計の秒針の音が、決して途切れることのないのに似ている。
「だからどうした、って感じだね! メデューナを倒したんだから、シェリスにはご褒美をあげるんだ。とっとと封印から引き摺り出して、自分がどんだけ強くて可愛い子を産んだか見せてあげよう!」
「本当に妬けるわねーぇ。あいつの何処がそんなにいいのかしらっ?!」
 ――シュンッシュンッシュンッッ!!
 一瞬竿を担ぐように大鎌を構えた青紫の淑女が、天秤の両端を魔法のように、肩、背中、腰で旋回させていく。巧みな手捌きと腰使いによって二枚の刃はすでに常人の目では追い切れない速度を獲得し、風切り音も気流と一体化したかのような軽快な音に変じていた。
「焦らすからにはちゃんとゾクゾクさせて。でないと嫌よ。ここでお前を殺してしまう」
 彼女の魔界での二つ名は『クレイジー・タービュランス』。高速軌道で駆け回り、接した物全てをズタズタに裂き散らす暴風。その象徴たる『斬首のジェミニ』の双奏曲は、翻る夜駆菫のゴシックドレス裝が軽快なステップを踏む度に幻惑的に軌道を変え、あらゆる角度からランセリィに襲い掛かった。首の両断を狙った超重量の一撃を紙一重でスウェーバック避ければ、動いて重心を乱した獲物を仕留める為にウロボロスの追撃が旋回し、今度は脚の両断を狙って地面すれすれから斬り上げてくる。
「後悔するほどさせてあげるさ……! 絶対に――!」
 凶嵐の目に向かって果敢に突撃する彼女は、だが届かない。
 初撃をかわして斬り込むのに一呼吸、ゾフィアが二撃目を放つのに半呼吸。
 フェイントで空振り誘って切り込むのに一呼吸、ゾフィアが二撃目を放つのに半呼吸。
 絶対に届かないのだ。もし開き直って真っ向から切り結ぼうものなら、末路は見えている。外側も鋭利に研がれた大鎌に触れてしまった衣裳のパフがざっくりと裂けた。青紫の羽根と黒生地の切れ端を撒き散らしながら二人は廃都で切り結ぶ。まるで強姦を再現されるかのように、少しずつ確実に追い詰められていくランセは、しかし不敵に笑んでいた。
(足りないのは、あと半呼吸。だったら――っ)
 身を躱すと同時に地面に掌を突いて逆立ち蹴って、残り十二分の五呼吸。
 柄に体当たりして突き掛かれば、残り八分の三呼吸。
 執拗に食い下がり、少しずつ刻の絶対防壁に食い込んで行く。
(……よし、太刀筋は全部、覚えた!)
 何十度目かの失敗の後に、斬風の動きを忙しなく蒼眼で追っていた少女の顔に確信が生まれた。石畳を叩く敵の足運び、繊手に操られて伸縮する長柄の間合い、より加速していく鎌刃の鋭さ、全て把握した。ならば、自ずと策は見えてくる。
「観察していたのはこちらも同じ! いつまでも躱せるとは思わない事ねーぇ!」
「残念っ、もう避ける必要はないんだよ!」
 双頭の姉が頭上に雪崩打ってくる。両腕でしっかりと銀の長剣を握れば草蔓のガード鍔から中心に通った樋に白い焔が満ち、鋒鋩を包んで盛ん。それを渾身の力で鎌刃の軌道に殴打。クラッシュ
 ――ギィィィィィィィィッン!! 魔力で殊更強化された鋼板でなければ折れていたことだろう。大きく弾いて斬首のジェミニの円軌道を乱すことで、踏み込む隙を作り出そうというのだ。釖身が折れ曲がりそうな衝撃と、自分の角を掠めていく凶器の気配。勢いに負けて両腕が上がってしまうが、鋼の斬器も大きく弾かれる。
「ぅふ、それでは駄目よぅ?」
 ヴュゾフィアンカが冷酷な微笑を浮べた。確かに弾かれた影響で斬撃列車の循環ダイヤが狂いはしたが、彼女が柔軟に腰を使うと簡単に修正されてしまう。
 ――ヂュンッ!! 乱された気流が唸りを上げる。そして、旋回した魔鎌の妹が再度、棒立ちにされた銀袮の玄裳ゴシックドレスの胴を狙ってくるのだ。ランセが振り上がった無銘の錦銀をまた振り下ろすのに必要なのは一呼吸。対してゾフィアが軌道を修正して第二撃を放つのに要するのは半半呼吸。再び迫り来る巨刃は竜の首であろうと断ち切れる威力を秘めている。
(ここだっ!)
 一瞬が無限に長く感じられるその刹那、ゆっくり迫りくる破壊者を見据えた銀環カチューシャを輝かせる剣士は、上がった腕の振りに導かれるままに地を蹴って翼を広げた。浮遊感を覚えながらオーバーヒップで、スカイグレーの平面を見せる魔鎌の横面を思い切り蹴飛ばす。
 ――ゲッギィィィィィィィィィィィィッッッンッッ!!!
「ふーんだ、大きいから蹴り易いや!」
 二度目の衝撃を受けて、今度こそ大きく双頭の大鎌の円ウロボロス・ワーク軌道が狂った。一歩間違えれば脚が飛ぶ作戦を成功させたランセリィが八重歯を覗かせてニィと笑う。
「あら!?」と焦った女に向けて、サマーソルト風味に空中で一回転する魔少女が銀光を閃かせるのに一呼吸。連続攻撃の呼吸を乱されたゾフィアが力任せに大鎌を振り抜くのに一呼吸。二人の武器は同時に互いを捉え、初めて、黒い花吹雪に菫が混ざる。
「その攻撃は見切った……もう何度やっても通じないよっ!」
「ふぅん? 少しは手応えが出てきたじゃない?」
 着地した魔少女に対して、余裕綽々だった淑女が構えを変えた。長大な柄を背中に回し、右肩から左腰へと斜めに添える。自分の肢体を総金属製の棒に絡みつかせるように、柔性を持つ鋼を己の腰に絡みつけるように。勢いよく凶鴉の大翼が広がり、来るか、とランセが身構えた刹那。ヴュゾフィアンカの姿が視界からかき消え、囁く声が後ろから聞こえた。
「見るのは良いけれど……見過ぎよぅ?」
 動きの硬直した隙に背後に回り込んだ狼髪の女が斬首のジェミニを振り被る。
 ――ドガァァァァッッ! 大粒に砕けた石が弾け飛ぶ。だが、その場に魔少女は居ない。
何処ど〜こを見てるのっかなぁ♪」
 高みから声が掛る。屋根に落ちる煙突の影の根元から、少女の上半身が出ていた。
「よく考えたら真面目に斬り合ってあげる必要はないことに気づいてしまいましたっ!」
 破った闘法に興味はないとばかりに、影を渡って逃げた彼女の剣の先に、薄蒼い月明かりが幾条もの四角柱形の道となって収束して射し込む。軽やかな虚構の正射影。幾何学的形態をぐにゃりと融かせたそれを、月光の鬼火と化させ、錦銀一閃。腕の振りと共に膨れ上がった雪色の焔が街路を嘗め尽くして四叉路に十字を描く。廃都をホワイトに染めて、しかしランセリィは警戒を解かない。重鋼一旋。炎を切り裂き回転する大鎌が襲ってくる。
「いつまでも小手先の技で遊んでないで、本気を出しなよ!」
「何のことだか分からないわねーぇ!」
 煉瓦造りの煙突の壁面に手を突いて、背中から倒れ込む勢いで腰から下を黒い淵から引き抜く。直後その煙突が砕かれ、唸りを上げる円盤が通り過ぎていった。少女の背が屋根に触れる刹那、突っ込んできたゾフィアがスピンして踵を振り下ろしてくる。背後からは旋回して帰ってくる大鎌の風裂き音。慌てず逆立ちの要領で左掌を突いて猫のように背を丸めて宙返り。二段に飛び退いて両者を躱したランセはタロットを使え、と敵を睨んだ。
「大規模な呪殺用だから戦闘には不向き? そんな見え透いた嘘に騙されるもんか!」
 屋根瓦を蹴り砕いたゾフィアが戻ってきた大鎌をキャッチして空へと靴底を叩く。
「人に取って置きを使わせたかったら、まずは自分が飛び切りになることよぉ? ついてらっしゃぁい。少し戦い方を採点してあーげるっ」
 かくして空中戦と相成った。月を背負って二つの影が激突する。
「教えてあげるっ、空中戦で物を言うのは――重量よ!」
 夜駆菫のゴシックドレス裝が斬首の長竿を振り回せば、一方的に押されるのは小柄な人影だ。重い一撃で叩かれて軽々動く。直下への円運動を邪魔していた大地の束縛を離れてますます勢いに乗る大鎌の斬撃に比べて、踏ん張りの利かないランセの剣が弱くなっているのだ。
「っく、そんなこともう識ってる……! いまさら言われることじゃないやぃっ!」
「の割りにはお口しか動いていないわねっ。ほうぅら、貴女の羽はお飾りかしらぁぁ?」
 戦い慣れていない少女は長柄の先で散々振り回されて下段に小突き飛ばされてしまった。大翼を打った戦女神が両膝を抱えるような姿勢を取る様は水面の魚影を狙う鳥。急落する嘴はハイヒールの踵となり、未熟な剣士の肩を刺突する。
「そして――貫通力! もっともシェリスは――」
 反動で空中で宙返りを打って、流れるような一連動作で中心を向けてきた大鎌を一回転。渦巻いた風が横倒しの竜巻となって放たれてくる。母親と似た技に対抗意識を燃やした少女は長剣を横薙ぎに振るって、銀の残像を瞬時に膨れ上がらせた。風の塊と月焔の厚いカーテンが砕け合う。残留する火の粉が、眼を焼いて視界を妨げる。
(く、ゾフィアは何処――! って、これが狙いだったんだっ!?)
 乱気流に小回りを奪われてバランスを直そうと小さな羽根を藻掻かせる剣士の首に冷たい何かが巻き付いたのはその時だった。頭を揺さぶるGが掛かり、引き寄せられる。数瞬後、目眩ましに紛れて投げられた鎖分胴に捕まったランセリィは、ヴュゾフィアンカの腕中で背後から胸部に得物の柄を押し当てられて押さえ込まれてしまっていた。
「こうやって相手を無理矢理自分の方に掴み寄せちゃうんだけどね。流石、お嬢様って所かしら? ごめんなさーぃ、ぺったんこなお胸がますます平らになっちゃうわねぇ!」
「ぐ……ぅ、うっわー、シェリスエルネス、結構姑息だね。後で注意しておかなきゃっ」
 強がる少女の肺臓を鋼鉄の檻で締め付け、瞳の上端を水平に揃えた女が甘い声音で囁く。
「まぁだまだだったわねぇ? さーぁ、檻に帰るお時間よぉ……?」
 後ろ蹴りする少女の細い足に女性の長い脚が絡みつく。内腿を蛇の尻尾が――否、官能の猛毒を塗りたくった蠍の尾針が這い上がってくる。
 ――ゴリッ。大鎌の柄で胸部を砕かれ、ランセリィは声にならない悲鳴を上げた。
「ちなみに、本気ってこーぉ? あらあら、陥没お胸になっちゃったわね! こうされながらファックされる趣味でもあるのかしらっ! いいわよ、後で幾らでも――っ」
 そこでゾフィアの言葉が途切れた。驚愕に目を見開いて己の腹部を見下す。少女の銀袮の玄裳ゴシックドレスの肘袋を突き破って生えた、白瑩の穿角が突き刺さっていたのだ。「なっ?!」と呻く女から伝う青い液体が、妖輝を纏う骨を流れて黒生地に触れた瞬間、変化が始まる。
「だからさ……その程度で闘る気なら、もう、いいや。殺してあげるから死んじゃぇ!」
 血の香りを嗅いで沸き立つように肘角の根元から影が滲んだかと思うと、鯱の体表の如く獰猛な黒曜石光沢の表オブシディアン・スキン皮を持つ触手が溢れ出した。左腕に巻き付き、優に元の五倍はある異形の巨腕を形成していく。身体を修復しながら少女が吐息を絞り出した。
「……っくぅ……! 凄いでしょ、わたし、一杯能力があるんだよ。ギルバの眷属としての力なんてあまり使いたくないけど、折角手に入ったんだしねっ♪」
 背後に流し目を送り、変貌を遂げた腕を翳して見せびらかす。最早、影中に異形を棲まわせて使役する必要はない。自由に肉体を変化させ、産むことが出来る。
 左肘の角を引き抜いた勢いで無人の前方にアッパーカット。外れた鎌柄を携えた長剣ごと右腕で掴んで強引に逆上がりをし、ぐるりと体を入れ替えて女の頭に左拳を叩きつけた。
「キ、キャァァァァァァァアァァァァァアアアアアァァァァァァ――――ッッッ!?」
 完全に予想外で不意を突かれた女はもろに一撃を喰らって落下していく。
「空中戦で物を言うのは重量だっけ。それで引き寄せるといいんだよね……!」
 もう一度振り下ろされると怪腕はばらけて触手の束に戻り、大地に激突したゾフィアと大鎌に追いすがる。十数本の漆黒の触手がキャット・ナイン・テイル剥く肉殺ぎ鞭が思う存分獲物を乱れ打ってから、無数の猫に掻かれて無惨な裂け目を見せる踏み躙られた墜鳥の裝に絡みつく。
 破られた皮膚を先端の牙で抉られ筋繊維をズタズタにされたヴュゾフィアンカの手足の様子を視認したランセリィは、八重歯を覗かせてニヤリと嗜虐度MAXの笑みを浮かべると、今度は敵に砲丸投げのようなぶん回しを掛けた。悲鳴を上げる間も無い享楽と猛毒の淑女を次々とぶつけられて、周囲の背の高い建物が連続して砕けていく。
「そして、必殺のぉぉぉぉぉっっ、――――貫通力!!」青紫の雑巾が息絶えたようにぐったりした所で高々と放る。仰角の大きい放物線を描いて戻ってきたゾフィアの腹に、剣玉遊びのようにタイミングを計って無銘の錦銀の切っ先を向け、躊躇無く串刺しにした。
「あ゛っ……ぐ……ぅうっっ!!」
 まるで鵙の速贄だ。ぶらりと垂れ下がった菫色の衣裳に血が滲み、どす黒い染みを作る。追撃に更に容赦無し。銀の剣身が一瞬白く発光したかと思うと、ドンという衝撃音と共に狼髪の女の手足が跳ねた。一瞬で身体を駆け巡った焔が魔力や神経をズタズタに灼く。
 長めの前髪で蒼瞳を隠して俯き加減。衣裳ドレスの煤けた淑女を意地悪に見上げた。
「わたし強いな、強いなわたしっ、呑み込み早い良い子だよね? 誉めてよゾフィア! どうして静かなのかな、自分より弱い相手じゃないと威張れないのかな? もしかして、互角以上の相手と闘った事なんて無いのかな?!」
「ふ、ぅ゛ぅぅ――言って……くれる、わ……ねぇ……?」
 ゆっくりと上がって鋼の杭を掴んだヴュゾフィアンカの掌から紺の雫が垂れる。
「……っふふふふ……! ……み、見括って……いたことをー……謝る、わぁ? ランセリィ。これは……、私も……全力を出した方が愉しそう……っ!」
「ふん、こうなっちゃ、もう遅いさ。さ、止めだよ♪」
 ランセリィはゾフィアを振り落とし、無銘の錦銀を大上段に構えた。鮮やかに剣身が炎上し、頭上で焚かれた篝火が少女の湾曲した雄牛の如き角や月紋の銀カチューシャ冠を照らす。
「わたしを汚してくれたお礼だっ。最大威力で灼き尽くしてやるっっ!」
 対象の自由落下を遙かに上回る加速度で迫る、白い彗星。対する相手のケープマントからバラバラとタロットカードが溢れた。それはさながら、誘導ミサイルに追われた戦闘機が放出するレーダー妨チャフ害片。瘴風を嵐の如く渦巻かせ魔少女の行く手を幻惑する。
「――――いいわ、我が『蠢く貪欲』グリーディ・タロットに込めし二十二の呪詛、お見せする!!」
「慈刻果てたり! お前の未来はここで終わりだ。わたしに触れた時点でもう終幕だ!!」
 障壁を突っ切ってランセは剣を振り下ろす。ゾフィアが周辺に展開するカードから一枚引いたのはその時だった。絵柄は『鏡に映った己に剣を突き刺しストレングスて絶命している戦士』。
「汝、己が刃を業とせよ――っ!」
 剣身に触れたそれがクルリと逆さに反転する。途端、三日月ペンダントの魔少女の左肩が裂け、血が噴き出した。本来なら菫衣の淑女が斬られる筈だった場所だ。
「っ、悪あがきを……っ! 奥の手が……こんな小細工かぁぁぁぁァァッッッ!」
 ぱっくり開いた肩口から虹を作る奔流が少女の激情に触れるなり楮領巾たくひれの炎槍と化し、煌光を引いて獲物に襲いかかる。次に引かれたカードは『醜く膨張しサンた太陽』。
「汝の力は制御不能――っ!」
 焔に触れたそれがクルリと反転すると、逆流した轟音に自身を焼かれてしまった。
「無駄だ無駄無駄ァァァッ、わたしはお前なんかに負けない! 負けるもんかっっっ!」
 熱波を振り払いもう一度、銀の長剣を構える。尖った八重歯を剥いて、禍々しい防塁に突き掛かろうとするランセリィに向けて最後のカードが翳された。満面の笑みと共に。
 その三枚目の占札は『首を荒縄で吊る苦行に耐え切ハングドマンれず命を落とす修行僧』。
「汝は自身に撤退を許さず! 進めっ! 進めっ! その身滅ぶその時までっっっ!!」
 その瞬間、投げ縄に捕らわれたかのような不可視の圧迫感に背後から首を絞められて、ランセリィの降撃が静止した。これまでと違い、カードの正位置から逆位置への回転は半分で止まっている。それが更に傾けば傾くほど、首を締める力が強くなった。
「ぐっ?! はっ、はぁ゛っ、ぐぅぅぅぅっっ! こ、っの……!」
「窮地で反撃できるのはお前だけじゃないの! お望みの呪術はお気に召したかしら!」
 まるで進む意志の強さに比例するが如く引く力も強くなる。無防備になったランセの襟首が掴まれた。バサリと青紫の羽根が散り、鉛直方向そのままに急降下――。
「言わないと気づけないでしょうから説明させて頂戴ねぇぇぇぇ! ただ適当に三枚選んだ訳ではないのっ、これは、過去、現在、未来のお前の姿に合わせてあるの! 過去に剣で破れ、現在炎に巻かれ、この未来に破滅するっっ!!」
 未来を縛る呪詛。積み上げた布石を元に、相手の行動を読んで同時に占札を引く。一度のミスが致命傷を生むリスクを代償に、戦闘巧者が辿り着いた実戦呪術の大結晶。
「凄いでしょーっ!? もっと使う枚数を増やせば呪力も増して即殺できるけど、まぁ、それは難しいしねっ? これで倒した奴って納得できないみたいで敗北を認めなくて堕とすのに手間取るから、面倒で使うの控えてたんだけど――――っっっ!!」
 弾みをつけたヴュゾフィアンカが呪詛に抗って藻掻く少女を右腕で牽引し、落下角度を斜めに変えて夜空に大きく螺旋を描く。千尋暴駆。充分ハミングクレイジー・ジェットコースターに勢いの乗った二人が錐揉みして大地に激突した瞬間、廃都に噴火と見紛う程大量の瓦礫と粉塵が噴き上げられた。
「ひ、ひぐううううううっっっうううううう゛ぎううううううううっっっ!!!」
 頬や胸を大地の鑢に掛けられて、ランセリィはくぐもった悲鳴を上げた。身体中の骨が軋みを上げ、肺が潰れそうになる。屋敷が薙ぎ倒され、ズズズッと大地に深い溝が掘られていく。その終端で下敷きになった黒髪白角の少女を踏みつけたゾフィアが、ゆっくりと再生している身体をふらつかせて立ち上がった。
「っふぅ……私も、ちょっとやられ過ぎぃ。少し、そこで見ていなさい」
 喉を押えた銀袮の玄裳の少女が必死に転がって距離を取るのを見過ごして、周囲の札群から引き抜いたのは、『敵陣に辿り着く前に破壊さチャリオットれて朽ち果てた戦車』。
「いでませい、腐泥の王!」
 地響きを立てて巨大な肉塊が現出した。実際にランセリィの目の前に出されたギルバは、巨大な釘や螺子に貫かれていて、みるからに瀕死だ。道理であんな事をしてくる訳だ。
(ふん、ざまぁみろ。わたしを弄んだ奴には天罰が下るんだよーだっ)
 何やら始めた敵の隙を有り難く利用して喉の呪詛を砕く作業に入り、心の中で舌を出す。
「駄目じゃない、ギルバ。私の許可なく勝手な事をしては!」
 淑女の手が翳されると宙に巨大な釘が現れて、魔神の単眼を真正面から貫いた。流血が弾け、凄まじい絶叫が鳴り響く。振動に負けた周囲の瓦礫が次々と崩れて砂になっていく。
「あっははははっっ! 痛いわぁ、屈辱だわっ! そんなに涙を流して可哀想! ほぅら、古き魔神の誇りをかなぐり捨てて、小娘相手に這い蹲って赦しを懇願してみなさい!」
 雨を浴びるように天に両腕を広げて、ヴュゾフィアンカが嗤う。他者の苦悶を啜って活力を得た傷がシュウシュウと藍色の煙を上げて修復されていった。
(時間との勝負だな、ゾフィアが回復を終えるまでにこれを外せるかどうか……)
 絶叫をバックコーラスにして、喉元で解呪の為の魔法文字を書いていた少女は、次にその名を聞いて、ぎょっとした。
「いでませい、シェリスエルネス!」
 摘まれた『想いを裂かれて輪姦さラヴァーズれる一組の恋人』の札から媚毒色スカーレットの嵐が巻き起こる。そして戦慄と陵辱に彩られた異空間の光景が写真を切り取って貼り付けたかの如く廃都に侵蝕連結し、掘り返された土や瓦礫の山へと、中から背の低い一匹の怪物が這い出てきた。
「――――っ! シェリスエルネス!?」
 その頭上に裸身の少女が一人。蛸を逆さにしたような蝕腕生物に吸盤触手で締め上げられていた。両腕は後頭部で組まされ、両太股を開かされた後、丸い胴体に跨らされている。
 しかも陰阜の当たる部位にはヤドカリの背中じみた形状のごつごつとした生殖器がそそり立ち、美しい獲物を征服する怪物がギョロリとした目玉二つを剥いてゲタゲタと嗤った。
 そいつは地に接した頭皮をゼニゴケのように平たく拡げていて、血管の浮き出た粘膜の絨毯を作っている。周囲のそれから中央に向けて無数の長い棘が交差して飛び出し、紫髪の少女は突き刺されて、膝や臑、胸部や腋窩を擬似床に縫いつけられてしまっていた。
 グチリグチリ、と局部に触手が出入りを繰り返し、色の付くほど濃厚な雌香が漂う。細長い円錐棘に貫通されて歪んだ牝肉が血の河を作る様は、針山に白い泥がこびりついているかのようだ。極めつけに肛門から口腔まで野太い触手に貫かれ、虜囚は歓喜と苦悶の呻き声を上げている。アメシストの流砂が見る影もなく精液を吸い込んで濡れそぼっていた。
「ハッロー、シェリス。今、お前の凶暴な娘と戦っている所。痛い? ちゃんと質問に答えなかったお前が悪いのよー? それにしても駄目駄目ねぇ、家来一つ満足に操れないだなんて。あの子はまだ頑張ってるけど、肩を並べて戦ってみる? 聞きたいわぁ、格好良く『私はまだ終わっていませんわ!』なんて言う台詞!」
 ランセリィの姿を認めた紅リボンの魔姫が、苦悩に身を捩った。蒼いアーモンド型の瞳が不安定に揺れ、何処にも焦点を定まらせないまま項垂れる。そこに去来するのは己への諦めだ。見限りである。自分にも一目で分かった。今の母親は罅の入った宝石で、縦横に入った亀裂を繋ぎ合わせているのは理性だけ。後一押しして、それに自身の屈服を認めさせれば、彼女は完全に崩壊する。
「まさか目の前で家来を見殺しにしておいて、言えやしないわよねーぇ。そんなに大切なら一緒に死んであげれば良かったじゃない?!」
 言葉の玄翁を携えた淑女が乱暴に裸身の乳房を掴んで下向きに力を掛けると、前にバランスを崩された少女の陰唇が全体重を掛けて深々と貝殻剛直を咥え込まされる。それに合わせて蠕動するハリセンボンの顎を剥いで拡げたような皮の上で、より深く棘に食い込まれて、傷を広げられた魔姫が乾いた涙の痕を上塗りして身悶えた。ドクンと根元から膨らんだペニスが射精し、黄緑色の薄汚い体液がぶちまけられる。
(……わたしのシェリスになんてことを……っ!)
「おっと、首の呪詛、解かないで私に突き掛かったら悪いけど即殺よ?」
 握られた拳の機先を制し、他者を痛めつける機会を決して逃さない女が不遜に笑った。

 息を止めてしまったランセリィの眼前で、惨媚の舞台が再演される。
「さっきの続きの話をしましょう、シェリスエルネス。娘が戦っていた間、何をしていたのか教えて?」
(あ……あぁぁ、ずっとよがり狂ってましたわぁぁぁ、獣に犯されて、ケダモノ以下の吠え声をあげてぇぇぇ!!)
 娘の陵辱される様を雑多な怪物共からの輪姦に肉悶えしながら見せられ続けていた瞳は光を失い、ひたすら自責を繰り返して刺激に喘ぐだけの動物になりかかっていた。
「そいつは淫乱な牝の存在を嗅ぎつけて、犯しながら棘で痛みを与えて苦痛と快楽の狭間の思念波を吸う陰辱惑星の住人よ。良かったわねーぇ、素敵な殿方に見初められて?」
 そう言った狼髪のサモナーが口から延びた軟体の串刺し竿を掴んで彼女を引き摺り上げると、貫通触手が体内で暴れて、魔姫が釣られたて魚の如く激しく身を捩った。全身の棘がズルズルと抜け、或いは折れて少女の肢体に纏い付いてくる。
「ん、んんぐ、ふぅぐ、ふぐおおおおっっ!! おぐぅおごおおおおおぉぉぉぉっっ!!!」
「ふふ、そろそろくぐもっていない嬌声が聞きたいわねぇ。もういいわ、消えなさい。歪星の牝殺し、ペインベント・ペネトレイターウブルーフ!」折れた棘を残して、名残惜しそうに怪物が消えていった。
「どう、私の下僕はお前の所と違ってよく躾けてあるでしょぉ?」
「っは!! ぐ……っは……ぁ!!」
 喉を制圧していた異物が消え去り噎せ返る。
 支えを失って倒れそうになったシェリスは腰に左腕を巻き付けられ、ゾフィアに引き寄せられた。身体に残った棘に触れられて、更なる拷問を予想したのも束の間、反して凶器を一本一本取り除き、一つ一つ傷を塞がれる。丸い痕に白手袋の指が触れて魔力を注ぎ、肉を盛り上がらせて熱で肌を繋げていく。それに反応して「……ひゅぃ……っ」と身悶え。
「なぁにぃ? まさか、痛みが無くなると重しを外された風船みたいに、快楽に我を忘れてよがってしまう、なんて言うんじゃないでしょうねーぇ!」
「ち、ちが……っぁふ……!」
 鴉翼の拷問吏の言葉を裏付けて、万が一にも痕が残らないよう丹念な彫琢を受ける魔姫が拒絶の悲鳴を上げた。肉を癒着され皮を繋がれた箇所が、まるで蟲を含んだかのように熱く疼く。裂傷と貫傷に腐敗の猛毒を放つ快楽の蝿の卵を入れられてから閉じられていく。
「ゃめて……アアアァァァァァァァァァァッッ!! やめて――っっ!」
「ふふふ、良い声……!」
 取り乱して弱々しく暴れる白い肉像の背後に菫色の影が回り込むと、互いの左足首を交差させて引っ掛けて簡単に動きを封じてしまう。日傘の表の如く曲がった淑女の左翼が、二枚の蝙蝠翼を内側に取り込んで捕らえた少女の左半身をドームのように覆い、刷毛代わりに使った先端を内腿深くに潜り込ませてくると、些細な刺激にも気を狂わされるシェリスは接触に怯える脚をランセリィに向けて自ら大胆に開かされてしまった。
 むっちりとした太股に鋭く刺さっていた棘が抜かれると、どっと脂汗が流れる。更に傷を塞がれると、香味豊かな発情臭が汗腺から噴き出した。羽箒に紫の茂みを撫でられれば、それだけで興奮が爆発し、滝の如き法悦の愛液がボタボタと糸を引いて零れてしまう。
「う……ふぁ……ぁ!」
 仰け反った後頭部をゾフィアの左肩で支えられながら、腕の内側で裸肉をくねらせることしか出来ない。肢体を伝う指に脾腹を貫通した傷を塞がれると焦点が危うくなってしまう。相手を引き離そうと頼りなく上がった腕は裂傷を舐められて塞がれている内に、力を失ってしまった。鴉翼に包まれて羽先と指の一本一本に傷の縁をなぞられ埋められる焼けるような快感に誘発された卑猥な腰振り。咎めるかのように後頭部を掴まれ固定される。
「ハ――――ハ――――ァァァ――――ッッ!!」
 頭髪が逆立つ愉悦。すぐに声など出せなくなった。大量の汗で血を洗い流し、濃紅のワインバーガンディ・リボン色を狩猟者の指に絡みつかせ、差し出した喉笛を舐められて艶媚な陶酔に浸る。
 ――ス……ズリッ!
 肌を掻く鋭痛。整列した羽根が剃刀になり、表皮を滑って流星の様な紅い傷を作った。
「ん――くあぁぁぁぁぁ!」
 バサリと羽ばたいて血糊を払うと、一転して羽根が柔らかく戻り、自分の暴虐の痕を慈しむように撫で摩る。そうして癒されると、短冊片の形の淫靡な快感が降りてくるのだ。
「ぐ……っ。ゅ、くゅぐ……!」疼き虫に制圧された異様な熱が身体の表面を覆い、雌芯の奥深くまで浸透してくる。まるで猛獣の爪のように悦楽が肉を抉り、大きくハの字に開いた股の付け根から糸引く愛液が、腰の痙攣を伝えられて振り子のように揺れた。
「傷つけて磨いて、また傷つける。女の身体っていつまでも遊べるから大好き……」
 棘に深く引っかかれて出来た右肩の裂傷に、ゾフィアの口が触れてきた。嫌がる腕が掴まれ、弾けた柘榴の実の如き長い断層を舌が這う。血を啜りながら、唾液を纏って蛭の如くうねり輝く先端を差し込まれて傷底を舐められるのは、まるで犯されているかのようだ。
「うっん」女の舌がびりびりと痛む谷底を往復すると全身の神経がそれに集中してしまう。脳神経を引き千切られるのに匹敵する烈感はやがて、隅々まで甘い唾液に冒された傷口の断面から出血が止まると消え、代わりに耐え難い熱を放ち始めた紅い谷間から無数の悦楽の小蛇が血流に乗って逃げ出し全身の至る所に甘噛みを強行。腕を伸ばさせられていた被術者の眦が緩み、拒絶心で硬く握られていた右拳が被虐の快楽に負けて開かされていく。
 ――チュプ、ジュズウウウウウッッッ!!
 傷の根元を唇で噛んだゾフィアが、まるでジッパーを上げるように啜り上げた。
「っん゛! ぃぐ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ふっっっ!!」
 強烈に肉が塞がれる激痛と艶悦。虐淫の蒸留酒スピリッツを注入された腕がガカァッッと火傷を負う。全身の毛細血管に燎原の炎の如く歓喜が燃え広がり、ハードビートで脈打ち始める。
「はぁぁ……はひぃぃぃぃ……ぅぁれ……ぃ……」
「変態ねーぇ、傷を舐められて感じちゃうなんて!」
 うっすらと残った赤い線が消えていく。同様に理性を危うくし、掠れ掠れに喘いだシェリスの瞳が欲情に蕩け落ちていく。クスクスと楽しそうに見送るゾフィアが手近な棘を抜いた。クルクル回されたそれが、ぷっくら紅い肉芽の根元に狙いを定めて突き刺さされる。
「ひぎゃん!!」
 落雷に打たれたシェリスは肢体を跳ねさせ、ビクビクと手足を痙攣させたかと思うと両脚を開いて失禁してしまった。掘り返された土に黄金色の迸りが吸い込まれていく。
「服を着てなくて良かったわねぇ! 駄目にしたのは何着目ーぇ?」
 髪を振り乱すシェリスエルネスを取り押さえて全ての肌を磨き終えたヴュゾフィアンカが、彼女を立たせた。パチン、と指が鳴らされると、獲物の肌を覆って現れたのは、血絃の黒懍ゴシックドレス華。しかし正装を纏わされるなり、まるで全身を鉄枷で戒められたかのように、魔姫の肢体が痙攣した。生地と擦れた過敏な肌にバチバチと静電気じみたパルスが迸る。突き出た箇所など特に酷い。呼吸の度に上下する胸がコルセットで乳首を弾かれ赤熱した鉄塊になる。ショーツなど勃起しっぱなしのクリトリスを締め上げ鑢掛けする拷問具のようだった。乾いていたドレスがたちまち蒸れ上がり、桃色の腰布にぬめった染みが広がる。
「ふぁ、ぅ、ヴ……ュ、ゾフィ……アンカ……ァァァ……ッ」
「ぅふふふ……、お気に入りのドレスも着れない程、お肌が敏感になっちゃったわねぇ」
 解放された魔姫は蒼眼を悦楽で澱ませ、膝を突いた。土に溜まっていた粘液を掌で掬い、思いっきり胸の豊かな膨らみを鷲掴みにする。ベチャベチャと揉みしだいて高貴な黒衣の膨らみを生臭い液体を染み込ませることで汚していくと 安堵した惚け声が漏れ出てしまうのが止められなかった。
「は……ぁぁぁ、ん……!!」
 乳房の重みに負けるようにして上体を投げ出して伏し、豊かな臀部を衝き上げる。
(熱……ぃ、……熱……っ……ぃ! 早く濡らさないと気が狂って……ぇぇ……!!)
 だから自分で濡らす。もしも貴方が濡れた肌のまま衣裳を纏ってしまったら、その気持ちの悪さを解消するには、身体を乾かすか、衣裳を濡らし切るかしかない。それと同じことだ。自分を貶め堕ちていく昏い悦びに浸っていくシェリスエルネス。
「ぅ……うくぅぅぅぅ……っっ」
 惨めだった。
「娘は懸命に闘っているのに、理由のお前は随分な様ねーぇ!」
(……ラン……セ、リィ……、ラ……ン、セ…………リ……ィ!!)
 心に入った亀裂から、穴の開いた風船のように気力が抜けていく。入れ替わりに詰まってくるのは底無し沼から溢れ出す悦楽の汚泥だった。
 魔物喰らいがハイヒールを高々とあげる。
「この背中に娘を庇って闘ったお前は、何処に行ってしまったのかし――らっっ!!」
「……っ……ふ……ぎゅぅぅぅっっ!!」
 爪先に羽の根本を引っかけて容赦なく前後に足蹴にされると、クッションになっている柔らかなマシュマロが潰れて歓喜に噎び鳴き、睫に滲んだ雌の感涙が頬に筋を作った。
「ハ――――ハ――――ッ!」
 涎の如く漏れる喘ぎは最早、人声などでなく獣の息遣い。耳を塞ぎたいのに、戦慄く両肩の中央をぐっと踏まれ、聴覚器に大鎌を突きつけられてますます意識を向けさせられる。
「いいわ、いいわぁ! お前の苦悶が伝わってくるっ、濡れちゃいそう! でもまだ足りないわ! 凶暴な娘に刻まれたこの傷を癒すだけの絶叫を聞かせて!!」
 細かな作業には不向きの無骨な凶器の腹が、優雅に伸びた耳朶を荒々しく撫でる。その殺戮を啜ってきた冷たさが、紅く蒸れ切ったアーチをぴくんと跳ねさせた。
(こんな刺激で、もう……! 思考が乱れてしま……っ!)
「んっ、んっ、ふぅ、ぅぅぅ……、ふぅ……ぁ……んふぁぅ……ぅぅ、くぅぅぅ……!」
 流れる黒ストッキング河に包まれた脚がポンプを踏んで上下させると高貴な芋虫は嬌声を吐き出す。
「さーぁ、その爛れた吐息、堕ちた身を抱える嘆きで我が杯を存分に満たしてねーぇ!」
 一際強く踏まれてから責め脚が上げられ虜囚の尺取り虫の如く突き上がった腰の双丘に踵があてがわれる。白樺のバイオリンの如く括れた臀部の曲線美が被虐の予感に戦いた。
「あらなぁに、誰もおあずけは教えてくれなかったのーぉ? お前の肛門から滲み出た腸液の匂いがここまで漂ってくるわっ、栓のおねだりなんて、はしたなくって最高!」
「っぐううぅぅぅぅぅうううぅぅぅぅぅぅっっっんっっ!!」
 ――ズゥグッッ!! と青紫色の円柱が菊門に押し込まれる。窪んだカルデラ湖となって陥没したスカートの黒生地がヒールを直腸へと吸い込んでいく。根本を軸に内部で回転されて描かれるのは円錐。直腸を攪拌されて性神経剥き出しの牝桃が哀れに痙攣した。
「んっ、んっ、ふぅ、んくぅう、んんく……! お、お゛ぉぉぉふおぉお゛ぉぉっっっ!!!」
 激しく踏まれたお尻が上下に揺さぶられる。噴出したアヌス汁が桃色のショーツを醜い色で染め上げる。イきっぱなしのヴァギナの部分だけが愛液の色で清潔を保っていた。
「笑っちゃうわよねーぇ。こんな淫乱な身体をしておいて、自分は真っ当な生物だと思っているのだもの! 絶望しなさい、シェリスッ。お前はこれに決して勝てないの!」
 歳不相応に熟れた磯巾着が、恥辱に塗れた異物を頬張らされる歓喜の身震いを全身に伝える。腰椎を悦楽で煮込んでくる。骨の髄まで被虐の洗礼を浴びた少女の肢体が、漆黒の羽を軋ませて悶絶した。紅瞳を酔わせた淑女が、二本指を己の口腔に突き込んで嘗める。
「ぅふ……ハイヒール越しにも喰い締められてるのが分かるわよ?」
「ぐぶあ……ら゛っん……ぃぎゃ……ぁ…………っ!!」
 クスクスと完全に掌握した贄を残酷に見下ろして、ヴュゾフィアンカが頬を上気させる。名残惜しげにひくつく菊門から尖踵を引き抜き、シェリスエルネスの髪を掴んで、もう一度引き摺り上げた。そして子供の残酷な遊びそのままに、ぱっと手を離す。
 解放と共にぺたんとその場にへたり込んでしまった魔姫の姿は弱々しい。その隣に腰を下ろし、ランセリィに親しさを見せつけるように鴉翼の淑女が頬と頬を触れさせてくる。
 寄り添って咲く二輪の花の如く。死骸を蝕む寄生花の如く。
「う……うぁ……」被虐の病痾に冒された魔姫はうなじを摩られて、初めて異性に触れられた生娘の如く硬直した。顎を引いて唇を噛み、そそけた髪を左右に揺らして媚触に耐える。
「正直信じられないわぁ、こんな奴に忠誠を誓って一生を差し出す連中がいるなんて」
(私はあの時死ぬべきだった――ッッ!!)
 上気して雪に赤みのさした頬を幾筋もの涙が伝った。貌に硝子の薔薇の如く危うくも懍とした物が混じる。気配を悟ったゾフィアが少女の顎を掴んで、ぐいと上を向かせる寸前、ザリッと前歯が舌に刺さった。唾液に赤い物が混じって唇を濡らす。
「……お前はすぐにそういうことをしようとするから張り合い無くて大嫌いよ。簡単に死を選んじゃ駄目じゃなーぃ。それに、ちょっとそれもワンパターン」
 万力の握力に口を開かされて阻まれた。頤が擽られ、耳元にゾッとする色の唇が近づく。
「のうのうと生きて罪を償わなきゃ……? でも、どんな顔してお供の前に出て行く?」
 たとえば砂で作った円柱。脆さで言えば、今の彼女の心はそれだ。覆い被さる無力感を支えきれず潰れていく。言い返そうにも言葉などある筈がなく、反抗の気力の源泉は枯渇。
「……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――っっ!」
 死者に向けて涙を零す魔姫を愉しげに鑑賞し、魔物喰らいが頬を舐めてきた。
「良い具合に私のコレクションらしく仕上がってきたわねーぇ」
 胸部を包む厚手の生地を湿気ったクッキーのようにグチャリと潰し揉んで、リズミカルな愛撫と共に、躯を密着させてくる。鴉翼が四翼を包み込み、竹箒のように荒々しく扱き立てる。飛び切りの御馳走にたっぷりと毒の調味料を塗していく。
「でも、まだまだよ。これしきでへこたれないで頂戴。どうして私がマーニッド達に手を出していないと思う? お前をより一層苦しめる為。これから、連中を殺すから、お前は止めなきゃ駄目よ? ほら、立つの。立てないかしら? 次はあいつらなのにねーぇ!!」
 倒れ伏すことすら許されず、シェリスエルネスは立つことを要求された。しかし――。
「う、う……!」何度やっても靴が滑る。脚が折れてしまう。
「う、うぁ……うあ゛あああ――――――――っっっ!!!」
 淫らの猛炎を前に頼りない矜恃の灯火が吹き消されていく。衣裳に全身をしゃぶられ雪の肌を融かしていく彼女の両膝の裏にゾフィアが右腕を差し込んで、両脚を抱えてきた。臀部を地に接したお姫様抱っこだ。スカートが捲れ上がり、若鮎の如く跳ねる眩しい太股や三角恥帯が覗く。紫髪の少女の声が焦って上擦る。
「や……ぁっ、お離し、なさ……い……!! これじゃ立てな……っっ!」
「どうせ立てやしないわ。私が何もしなくたって立てなかったのだもの。さて――」
 言葉と共に浮遊した一枚の札が、輪姦される恋人たちの絵柄をちらつかせながら、ふらふらと迷い箸のように宙を滑ってシェリスの肢体の輪郭をなぞってきた。
「ど・こ・に・し・よ・う・か・し・ら〜〜〜?」焼け石を放られた水鍋の如くカードが徐々に温度を上げているのを悟り、心が警鐘を鳴らす。逃げようと脚を藻掻かせていると、やがてそれが膝の間で、ふっ、と掻き消え、次に己の子宮内に薄い矩形の異物感が現れた。
「決〜めたっ、ここにするわねー?」
「な……何を……?! ひぎァッッ! ィ――ィィィィ゛ィ゛ィ゛ッッッ!!」
 一瞬、子宮に濃硫酸をぶちまけられたかと思った。艶めかしい熱で胎内を疼かせた忌まわしいタロットカードが、一転してカッと恒星の如き灼熱を放射したのだ。牝肉を炙る鉄板となった占札に狭い空洞を容赦なく甚振られ、哀れな少女が跳ね狂う。
「熱いっ、熱い熱いアツ゛イ゛ィィッッッ! 焼けるヴゥゥゥゥゥゥッッッ!!」
「焼き印――ちゃんと気持ちは良い筈よ? お前は私の物。名前を書いておかなくちゃ」
 ――ジュ、ズズ、ジヂヂヂッッッ!!
「ひ……っ、ヒィ゛ァッッ!! ァ゛ヒッン……ア゛……ヒィィィィィッッッン!!!」
 引き絞られた弓の如く背筋が反り返り、窮屈なハンモックの谷間でメロン塊がニプルを尖らせる。女体の中でも特に柔い隔壁が灼かれて横暴な凌辱者の烙印を転写される悦楽は、細胞を一片残らず蒸発させられるよりも激しく、身体中の水分を流し尽くすかと恐怖を覚える程につぷつぷと開いた総身の毛穴が危険な歓喜に貫き通された。
「っくく、外には何の傷がなくても、中身はもうグズグズ……!」
「くあ……っ……ぅかあああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁあああっっっ!!」
 骨にまで達する卑猥な烈火が、池から出されて抱えられた錦鯉のようにシェリスを飛び悶えさせる。たちどころに透け透けになったショーツを押しのけて蛇尾が突き立てられ、ジャックナイフの切れの良さで膣内が掻き回された。
「ふぁ……っ……ぁく! っくびゅぅぅっ、っ〜〜んはおおお゛ぉぉぉぉぉぉっっっ!!」
 大魚が悶え泣く。もうどうしようもなくなっていた女性器は、だらしなく花弁を垂らし、Gスポットを充血させてそれを迎え入れてしまう。
「ほぅらあれをご覧なさい?」死神の指よりも無惨に白い指が、ある方向を指し示した。
 目を向けると、進めば首を絞められる呪詛をそのままに、ランセリィが進んできていた。
「……こっちなんて見なくて良い。それより、わたし、一%くらいはシェリスの為に戦ってるんだから、あんまり恥掻かせないでくれると嬉しいよ」
 信頼に応えなければならない。せめてランセリィだけでも逃がさねば――。
「や、ゃ、みよ……、ケル、べろす……っ!」
「なぁに、私を攻撃したいの? でも、言うだけねーぇ、全然力が入っていない。過去の記憶でそう言わなきゃって思ってるだけ! 惰性よ、惰性!」
 なのに爪先一本、自由に動かせない。何も出来ない。向けられた想いに報いることすら。
「わたしを救いにしないで。迷惑。マーニッド達もそんなシェリスが好きなんじゃない」
「そうよー、シェリス。だぁれも、お前が助けになるなんて期待してないの」
 俯いた前髪で顔を隠す娘の歯軋り。それで最後に縋る物も消えた。シェリスエルネスの理性が不要物の烙印を手に、己の価値を見失う。鱗と襞の弾奏に付け込まれ心を挫かれる。臍の裏側を丹念に淫蜜のワックス掛けされて、快楽に自分が貪られて無くなっていく。
「あ、あ――ぁ!」
「ぅふふ、獣に出会ったわねぇ? それよ……牝の本性に身を委ねなさぁい……!」
 もう何も分からず分かりたくない。そのたった一瞬の心の隙を凌辱者は見逃さなかった。
「ひがあぁぁぁぁぁぁっっっ! くぎキィィィィィィィィッヒィィィィィィッッッ!!」
 内側に生じた光の爆発でシェリスの腹部が盛り上がり、肌を貫いた熱波の杭が周囲に突き刺さった。腹部に歓喜の焼け石を詰め込まれた少女は俄に沸騰し、白目を剥く。
 ゾフィアの左腕が、相手の左脇腹を潜って左肩を羽交い締めのようにし、シェリスの顎を掴んで顔を自分に向けさせる。紫と紅の唇が重なり合い、語るのは濃密で爛れた愛。
「私達、ちょっと上下関係が出来ちゃうけど、これからもずっと親友よ。牢屋も雑魚寝じゃなくって独房を用意してあげる。だから全てに背を向けて私を受け入れなさい……?」
 咥え込んだ蛇尾の周囲から、ドロリとした葛湯の愛液が溢れ出すのが止まらない。
「お前はもう快楽の奴隷……さぁ、一切の希望を捨てて、私の懐に迎え入れられるの!」
 ――ズズヂッ、ジジッジジジィ゛ィィッッッ、ジュゥゥゥゥゥゥヴヴッッッ!!!
 汗塗れじみて濡れ光る段なった子宮腔を業火の指先が這い、教会のフレスコ画の如く、あらゆる種、性別の恋人同士が凌辱され引き裂かれる様を、擂り鉢状の空間のぐるりと全周に渡って焼き付けていく。魂を揺るがす灼熱の瘴風が、ぎゅっと鱗根を噛み締めて打ち震える股座から、墜ちて喘ぐ舌の根元まで吹き抜けた。粘膜が甘く引き攣り、喉を膨らませた蕩けた媚息が杜若色の悪魔に吸われる。自我が吹き飛ぶ、烙印の蹂躙――。
「行動で示してるじゃない。もうお前は臣下のことなんてどうだっていいのよーぉ!?」
「あ――あ゛――っっ!! ぇ゛はぅえええぎむ゛っレェめぎオボォォォオォォォォッッッ!!!」
 ぶんぶんと頭を振る魔姫。しかしトランペットに息を吹き込むように蛇尾の抽送が続くと我知らず吊り目が緩み、両腕が目前の藁――菫衣裳にしがみついてしまう。
「らめ、おかひ……ぃゾフィッ、いきゅ……いきゅいきゅいきゅううぅぅぅぅぅっっ!!!」
 まるで小便を堪える幼児のように身を痙攣させる魔姫の膣内で、ノズルのように口を窄めた蛇が不意打ちとばかりに煮立った毒液を吐き出した。
 ――ブシュゥゥゥゥゥゥッッ!! ビュジュッ! ブジュシュゥウウウゥゥゥッッッ!!!
「ぃぃぃぃぃる゛っっぐぅぅぅ゛ぅっっ……あぁぁッはっぁァ――あァぁぁぁ……ッッッ!!!」
「只の液体だけどー、気分は出るでしょう?」
 とてもただの液体とは思えなかった。温度も粘りも。子宮頚管を的確に狙い撃つ悦楽の奔流。魔の烙印が最後の一筆を描き終えるまで、生贄は頂きに叩き上げられ続けた。自分の体積に匹敵するほどの愛液を喜びと共に絞り尽くされて。
「はォォォオオオッッッン゛ゥゥゥゥッッッ!!! ヒィ……ッ……ヒ……ィア……ッ!!」
 骨盤ごと腰が蕩けるような快感を味わわされたシェリスは、ゾフィアが膝裏から腕を抜いて立ち上がると、ズルズルと地面に倒れ伏してしまった。両肩両胸を倒地させ大地を媚悶する吐息で舐め、横倒しにしたヒップから伸ばした尾を小さく身震いさせる。そうしていると、その顎をハイヒールの爪先が持ち上げてきた。
「いい子ねぇ。ご褒美よ……」再び召喚された軟体がパンパンに張った尻に襲いかかった。
「え゛、ぇう……っ」抵抗する少女の舌を細い触手が無理矢理縛って引き出す。そして、藍銀の淑女の靴を舐めさせる。娘の視線を感じて羞恥のチップで燻製される女体。
「おふっ、ふぇ゛う゛ぅぅっっ、――――おふぁぁぁぁぁぁああああああ゛っっ!!」
 衣服を縒らせて白い女体を締め上げ、触手の大蛇が巣穴を見つけたかのようにアナルに潜り込む。折れそうな程、身体を折り曲げてのたくる少女。その前に立つヴュゾフィアンカが陶然とした微笑みを浮かべてハイヒールをシェリスエルネスの角に掛けた。
 それはさながら、標本の蝶にピンを刺し込む愉悦。
「こんな立派な物はお前には似合わないんじゃないかしら。折っちゃおうかなーぁ?」
「っ――! っ――――! っ――――――――――――っっっ!!」

(雑音なんて何も聞こえない。わたしのシェリスは強いんだ。あの程度――っ!)
 一歩歩むごとに首の骨を軋ませながら、ランセリィはそれでも前進を止めない。あの蒼い瞳を餌をねだる野良犬にしたくなかった。だから拒絶した。そしてすぐに後悔した。
(ちぇ。上手いこと言えば手懐けられたじゃないか……。何やってんだろ)
 無様な格好で這わされた魔姫が泣き悶え、魔神が潰れた肉団子になって沈黙する。獲物たちを蹂躙するゾフィアはとても楽しそうだ。その身からは、もう煙は上がっていない。
 両肩を抱いてうっとりし、ウルフテールを跳ねさせてクルリクルリとターンする。
「あぁ、渇きが癒されるわぁ……。楽しい――とても楽しいわ! 我は衆生の運命を飲み込む黒き渦潮なり! 本当、揉め事が起きた時はこの子のグリーディ・タロット餌の狩り時よね!」
 色の漆塗りじみた光沢を持つ革靴が銀紐を振り乱して進み、絞首の力が増していく。
 ――止めろ……っっ!
 ゾフィアの爪先に体重が乗った。
「っ――――〜〜〜〜〜ッッッ!! や・め・ろぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
 瞬間、少女の首で銀の粉が爆ぜた。激情で喉の呪詛を灼き尽くし火炎のマフラーを靡かせて飛び出した少女は、揺れるウルフテールの背後に向かって一直線に無銘の錦銀を振り下ろす。素早く振り返った陵辱者が斬首のジェミニで受けると、ボキンと音がした。
「あらぁ、ごめんなさぁい。今ので体重がかかって折れちゃったみたいー?」
 わなわな震える肩をポンと叩かれる。
「根っこの所で甘いのね、そういう所も大好きよ……。シェリスなんか放っておいて、あの眷属さんと帰っちゃえば、こんな辛い目には遭わなかったのにねーぇ?」
 互いの必殺の間合いに入っていることを寧ろ楽しむ風情で、ゾフィアがぐっと顔を近づけてきた。折れて地に転がった黄土色の角をじっと見つめて動かなくなった少女の、痣の出来た首筋を舐めてくる。涙を溜めて、きっ、と顔を上げた魔少女と、平然と見返す淑女。二人同時に相手の腹を蹴って距離を取り、倒れ伏した常夜の魔姫を間に挟んで対峙する。
「そのちり紙諸共……灼いてやるっっ!」
 ぶち切れたランセリィは左拳を肩まで上げて硬く握り、右手に携えた長剣を横に流す。すると、爆発的に膨れ上がった月光焔が眼を貫かんばかりの輝きを放った。
「ドラァァァァッッイィィッブ・オンッ! ハイパァァァ・モォォォォォッッッド!!」
 それは苛烈な精神の焔。天を刺すように右腕を頭上に掲げる。炎の燃え盛る方向と剣尖の指し示す方向が一致した瞬間、滝が轟音を立てて逆流するが如く天蓋を砕かんと火柱が立った。さながら地上に咲いた蓮華の花が、中央から火炎の雌蕊を噴き出す光景だ。
 その根元で、全力の反動に耐えるにはまだ幼い躯が輪郭を霞ませる。湾曲した角が同色の炎に溶けて消えそうになり、ドレスもまた取り込まれて、空を煌煌と染めるキャンプファイヤーに転化しそうになる。重圧など無い筈なのに、細い足など折れてしまいそうだ。
「白夜の煉獄に至りて、わたしは黒一点! 月光の中にて影、闇の中にて服ろわぬ銀盆、鴉鷺を渡る陽炎の全霊を以て、ここに嬌幻の夜を結集する!!」
 敵より先に本人を無に帰し兼ねない烈火の足元で、濃さを増した漆黒の影が沸き上がる。
 それは全周囲から魔少女に薄いライトを当てたかのように、鋭角的な三角形を幾つも形作り、ランセリィの四方八十メートルに五芒星を正逆に重ねた十芒星を描いた。
 先端が影法師を伸ばし、環状列石の如く少女を囲んで踊る。色を反射したかのように、ドレスが黒を取り戻すと、昏い沼が見る間に大地を塗り尽くし地平線すら染めた。そして、木霊が返るが如く夜が降る。天地の境から次々と空に槍が飛び出し、たちまち星天を覆い尽くす大波となって中央に聳え立つ光の柱に激突してモノトーンの火花を散らした。
 互いに喰い合う二者は吸い込まれるように銀の長剣に収束し、ただ無為に力を垂れ流していた、ともすれば暴発しそうになるエネルギーの奔流に箍を嵌めていく。
 ランセが背中を見せるほど左半身を退き、華奢な左肩に担ぐようにして両腕で剣を構えた時、それは白に罅割れの如く影色が走る大理石紋マーブルカラーの燐光発する大剣。全長が使用者の体格を遙かに超越している熱量塊が背後の大地を割り、触れた土が熔けて硝子に変じていく。
「精々、泣き喚けっ、断末魔ごとこの世界から消し飛ばすよ……っっ!」
 更に目一杯の魔力を武器に注いで世界を焦がし、傲然と彼女は八重歯を剥いた。
 この空間の支配者が決死を賭けた一撃を前にして、それがどうしたと言わんばかりに風が吹く。開いた鴉翼がそれに乗り、遙か天へと舞った。
「出来もしない事を言う子は大嫌い、だけど必死に巣立とうとする姿は素敵! その雛鳥の羽をいで二度と飛べなくしてあげるのはなんて楽しいのかしら!!」
 キロリと眼を見開いたゾフィアの背後にグリーディタロットが整然と並ぶ。まるで勝利に向かって突き進む戦船の帆のように。呪詛とは元来、叛逆の法。一切合切を地に引き摺り下ろす至境の攻性用術。それを操るは枉逆の魔物喰らいソウル・コレクター
「奏でろ『蠢く貪欲』グリーディ・タロット、他者の絶望を踏み躙り世界に打ち克つ我が信念の化身!」
 廃都の君主の放つ焔光を跳ね返し、二十二カテゴリーに分類された呪燃機関が唱和する。さて謹聴。仕えた主人の悉くを菫の凶女に討ち取られた鋼の武人が自害も許されず嘗ての主君たちの亡骸の上に鎖で縛られる慟哭、万魔の快楽を教え込まれながら絶頂の寸前で刻を止められた若き教皇の絶叫。其はヴュゾフィアンカの集めた悲劇と屈辱の楽団也。
 生贄を啜るマストが翻り、隊列を変えて行く。放線菌の如き放射状。中央を円形に空けて皿盤状に並び有機的に蠢くそれらは、喰らい封じた魔物の群れに苦痛と快楽を吹き込んで、怨啜と歓喜の声で喨々と管楽器を鳴らした。
 地上を睥睨するゾフィアが大鎌で一点を指し示すと、葉に触れられたオジギソウの如く機敏に反応したカード達が前に倒れて、直角に角度を変えた頭をその方向へ向けた。
「燦然と輝くあの星を我らが宇宙に迎え入れん! 瞳を鈍色に塗り潰して!!」
 夜駆菫の裝に燦めく粒子を振り撒いて、漆黒の空を流星が舞う。やがてマスゲームが終了した時、そこには一つの星座が完成していた。占札が互いを光の線で結んで浮かび上がらせたのは、獅子頭を持ち胴は狼、鴉の翼を生やし蛇尾をしならせる、畸形のキマイラ。躯の各所から放出する呪力で空に天の河を流し、咆哮する口の中央チェンバーに菫光を装填していく。
 かたや暴君ランセリィ・K・シェリスエルネス。明滅する大剣を携え銀袮の玄裳の裾を翻す様は、曼彩絢爛。かたや凶鳥ヴュゾフィアンカ・ヘルペー。星獣の中核で地獄の合奏を耳にして恍惚に浸る様は、艶虐無双。
弥終いやはてを滅して轟けっ、究極無敵の超新星! 奇にして壮烈なる断劇の極致!! カプリオォォォォォォゥゥゥゥッッルゥゥゥ・ザァンバァァァァァアアァァァァァァッッック!!!」
「Ring the knell of the pretty可愛いお前を無茶苦茶にするの。 floret. For fun, I'll push you over the骨の一片までしゃぶり尽くすわ! precipitous cliff! 我が招くは久遠の苦怨!! さぁぁぁぁっあ、弔いの鐘の音を聞きなさぁぁぁぁぁい!?」
 ゾフィアの掲げる光の範疇を越えたあまりに忌まわしい厄災の星が発射されると同時に、全身を使って踏み込んだランセリィは天空に向けて大剣を袈裟斬りに叩き下ろした。
 ――ガガガガガガガガッッギジュァリッィィイイイヴヂヴヂヴヂヂヂヂジュッッッ!!!
 その軌跡は喉笛から横腹まで一直線。生者の肉を求めて魂すら爛れ落とす呪が極太のレーザーとなった青紫色の筒を伸ばすのを、競り勝った灼熱の奔流がゆっくりと断っていく。陣容を崩されたタロットカードがバラバラと舞い落ち、舌打ちと共に人影が飛び出した。
「逃がすかっ! 蝿め……叩いてやる!!」
 剣を地面に打ちつける寸前、踵を軸に身体を横方向に一回転。削り合いで見る影もなく痩せたマーブルブレードを、回避運動を見せる肩背套ケープマントへ渾身の力で振り上げた。――ヒュン!! 夜空を細鞭となった閃条が糸を振ったように切る。
「……ぐ――っ、ぁぎ……ぃッッッ!」
 人影の右腕が断たれて落ちていく。対するランセリィは――。
「――――――フ……ゥ゛……ッッ!」
 ガクリと膝を突いていた。その背中がざっくり裂けている。大地に墜落した銀髪の淑女が右腕の断面から大量の血を流しつつ、無事な左手で舞い戻って来た双頭の大鎌を受け凄絶に笑む。戦上手が派手な激突に隠して投擲していた回転刃に背面から襲われたのだった。
「……あっはァ……駄目駄目ねぇ。私、野蛮な殴り合いなんてしないわよぉ?」
 そしてゾフィアは落とされた己の腕を口で咥えたかと思うと、あろうことか斬り口から喉に丸呑みするパフォーマンスを見せてきた。――ぅぐ、う゛ェぅググ……ォボッ!! 正に蛇。咽頭に詰め込まれる人体の輪郭が喉を通過していく。さよならをするように蠢いて白い指が粘膜の穴蔵を滑り降りたかと思うと、切断面がボコボコと泡立って土塗れの右オリジナル腕を生やして復元されてしまった。ショーを終えて満足げに、キロリと粘着質な紅い眼光。
「……ェ゛ホッ……如何かしらー。背中の傷と右腕の交換なら安いとか考えちゃった?」
「……ふふんだ。今ので殺せなかったのを後悔させてあげるよっ」
 重くなった背中と剣を引き摺って再び構える。敵とて無傷ではないのだ。注意深く観察すれば、余裕ぶる淑女の額にもうっすら汗が滲み、あまつさえ僅かに肩が上下している。
「悲劇を間近で鑑賞するのも骨が折れるわねーぇ? 娘なんて見捨てなさい、母なんて敵に手渡すぐらいで十分よ。それが出来ないなんて、私と正反対で羨ましいぐらい!」
「その言葉は全く正しい。相手がシェリスエルネスでなきゃ、わたしだってそうしてる」
「――――そう、やっぱり大好きなのね、シェリスエルネスのことが」
 いきなり話を飛躍させたヴュゾフィアンカが、ちろちろと邪な視線でランセの肢体を舐めてくる。心を解体されていく不快感。微笑んだサディストがいつの間に拾ったのか、折り落とされた山羊状の捻れ角を掴んで見せてきた。嫌な予感を覚えたのも束の間――。
「まるで豆腐だわぁ? こいつの性根の、そのまんま」
 鳴らない角笛が目の前で握り砕かれた。パラパラと砂塵色の粉が落ちていく。挑発だと分かっていても、抑えきれない怒りもある。長剣を握るランセの拳がガクガクと震えた。
「最善手にしか興味のないお利口さんには分からないかな、シェリスの良さは!」
 言い返してやると、凶女がクスクスと童女じみて嗤う。最早感情を起伏させる気力も尽きた魔姫が電池不足の機械人形のようにまだ僅かに動こうとしているのをちらりと見た。
「なんで私にここまで好き放題にされちゃうのか教えてあげましょうか? 実は私は何もしてないの。お前達が互いの手足を縛り合ってるだけよ。ちょっと最初に苦労して一押ししてあげれば、自縄自縛の二乗で後は勝手に転げ落ちて行ってくれるのよね」
 ゾフィアが斬首のジェミニを振るい始めた。初速から既に飛燕を捉える速度。僅か数瞬にしてトップスピードに達し、砕石機の猛威と鉄壁の防御とを兼ね誇る暴嵐へと成長する。
「運命を喩えるなら断崖絶壁。誰もが手の届く範囲にハーケンを打ち込み、縁のザイルを伝って這っていく。目の塞がったお前達は昇るつもりで降りていることにさえ気づけない。悪路を盲滅法に進んで行き着く先は破滅、立ち位置を知ればそれが不可避と知って絶望。もう無駄な抵抗はよすことね、ランセリィ! お前も母も積み重ねた過去が私の餌食になる終焉を決定しているわ。選択に自由など無い。二択があれば必ず最悪を選ぶ。お前達はそういうもの、汝らは自身故に堕ちていく愛すべき愚者の群れ!! 砕かれ輝く崩滅ハイペリオン・ジュエル石!!!」
 まるで少女が飛び込むのを待ち構える罠の如く、鎌刃は先程より速い。おそらく地を這う影すら到達を許さぬだろう。
「本当にそんな物が見えるなら、ついでにザイルの赤いのでわたしの小指とシェリスの首を繋げておいてよ。そしたら結婚式ぐらいには招待してあげる!」
「ノンノン、お前たち二人の全身に絡みついた祝福の糸は、私のヒールに予約済みよ!」
 次にランセが口を開けば互いに斬りかかる。それはそんなタイミングでの出来事だった。
「……ほざくなゴミめ。運命だと? 世界など我らの在りようで如何様にでも変化するのだ。この苛烈な闘争の場に、そのような諦念の入り込む余地のあろうものか」
 ランセリィとヴュゾフィアンカを一直線に繋ぐ向こうに、不吉な影が立っていた。
 それは地に接する前傾姿勢を取ると、はためく肩背套の背中に向けて駆け出した。
「あら、だぁれ? 割り込みは感心しないわ! この娘に最初に唾を付けたのは私よ!!」
 闖入者は速かった。ゾフィアが軸線をずらす余裕もなくランセリィに翼を見せて振り向きながら、嵐の矛先を変える。影は一つ間違いを犯している。斬首のジェミニの殺戮旋風に死角はない。背後から襲われても少し身のこなしの方向を変えれば済むだけのこと。
「ざ〜んね〜〜んでーしったっっ!! 寝取られ屋さん!」
 ――そしてヴュゾフィアンカは血を吐いた。
 細く長い剣刃が夜駆菫の裝の左翼の付け根から生えていた。死闘を演じていた乙女二人を繋ぐようにそれは、狼髪の淑女を貫くのみならず、対峙する白瑩角の魔少女の喉笛にも真っ直ぐに切っ先を向けている。そしてゾフィアに隠れて蟠る影は――。
「すまないね、レディ・ランセリィ。お嬢さん方の無邪気な戯れに横槍を入れるのは無粋とは思うが、どうにも腹の立つ演説が聞こえたものでついつい、な」
 嘲弄の黝タキシード装の老紳士。 酸を浴びたが如く裾が襤褸と化した蒼味がかった黒の外套が、見る者に闇夜を征く幽霊船のマストを思わせながら翻る。筒状にひょろ長い頭部にシルクハットを乗せ、T字型の柄をした銀のステッキに仕込まれた魔剣、欠けた十字架フォールン・クロス――T字十字を使う者が聞いたら怒りで卒倒しそうな名前(多分持ち主は彼らに恨みでもあってこんな名にしているのだろうが、改名を勧める)――を淑女に突き刺しているのは――。
「……ザ、ザーバッ、ハ……? 復讐と、刑罰の……っ」紫の唇から血が垂れた。「のき給え、享楽と猛毒の第四十九位。君が余の前に立つなどと烏滸がましいにも程がある」
 手袋の上からでも分かるふしくれだった指が、ずるりと剣を抜いたかと思うとゾフィアは倒れる間も与えられず、とても老体とは思えぬ力強い足に蹴られて隅に転がっていった。
「絶望の底で滾る執念こそ我が血脈の根源、報復と闘争の魔性と知れ。その前でよくも浅はかな世迷い言を語れた物だ。堕ちることしか能の無い雌豚の末が」
(強い……)ランセリィは舌を巻いた。先程の種明かしは簡単。速度に緩急をつけたフェイントで空振り誘い、がら空きになった懐に第二撃より速く飛び込んだだけだ。しかし、それが如何に困難な行為か、実際に対峙していた剣士には良く分かる。
「風車などと言う物は元来だな。傍目に幾ら隙間が無く見えようとも、結局数本の棒切れがそう見せかけているだけの眼の錯覚に過ぎんのだよ。拍子が合えば攻略は容易い」
 それを可能にするのは、一体どれだけ常軌を逸した集中力なのか。痩けた頬に猛禽じみた眼孔と歳月に使い込まれた皺を宿した老人は、殺気の針を隠しもせず口髭を撫で付けた。
「正直止まって見えた。かような遊戯に命を賭けるとは、君らも大分、酔狂なものだ」
 左の片眼鏡モノクルが冷たく光る。こつりと響く靴音。痛む身に無理を強いて少女は飛び退く。
「……帰ったんじゃなかったっけ」
「欺かずして何が人生か。騙されずして何が今生の潤いか。陰謀無くして何がこの世の華だと言うか。案内ご苦労、シュイ=ヘルト君」
 そう言ってバサッと翻された外套が紹介のつもりか指し示したのは、蟷螂に似た頭部を持つ魔物だった。ランセははっきりと覚えている。あの屈辱的な地下拷問室で自分を殺そうと声高に叫んだ奴だ。そいつは今では鎧を脱ぎ、馬鹿げた事に忍び装束を着込んでいる。
「彼の監視に気がつけないとは。温い人界暮らしで鈍ったかね、ヴュゾフィアンカ」
「……そいつ、他の雑魚と一緒に殺した筈よ。ちょっと、はしゃぎすぎてたかしらねぇ」
 無言で一礼した昆虫忍者を下がらせて、魔王が再び歩を進めてくる。
「スパイごっこって楽しい?」
「無論。フィーリングに合わねば、こまめにこんな真似など出来んよ」
「……年寄りの道楽で命狙われちゃ堪んないや」
「その道楽が許されるのが魔王という職種でね。せねば寧ろ怠慢と罵られる。この世を陰謀と闘争で埋め尽くすまで、余の戦いは終わらぬのだよ」
 ゆったりと距離を詰めつつ嘯く老紳士の高い背がランセリィの前で仕込み魔剣を構えた。
「感謝して欲しい物だ。ごみの処分を余の手で直々にしてやったのだからな。しかし若いというのは聞く方が恥ずかしい。あそこまで余の娘を買ってくれていたとは光栄の至り」
 黒の正装が覆い被さってくる。線のように細い刃が、少女の切れ長の蒼い眼を写す。
「やはり懸念した通り。ますますギルバの臭いが濃くなったのではないかね?」
 逃げても埒が明かない。ランセリィは後ずさるのを止めた。
「……よくもわたしとゾフィアの決着を邪魔してくれたね……っ」
「貴様にそのような上等を許すものか。何も為せず、道化のまま朽ちるが良い」
 仕掛けの機先を制しようとした瞬間、無数に走った銀の弧に少女の衣裳は断たれていた。
「どうした。貴様の甘噛みに付き合う義理はないぞ?」
 血が噴く間もなく、樫の木のように硬い脚に腹部を蹴り上げられて吹き飛ばされる。
「ほぅ。君は軽いなぁ。そんな所でまで命の価値を表現せずとも良かろうに」
(こいつ、……女の子のお腹を蹴ったよ)
 天罰よ当たれ。大地とのバウンドで思い出したように体液が飛沫出す。追い打ちの予感にゾッとしたが斬痕に残留する瘴気に回避行動を妨げられた。指がカリカリと大地を掻く。
(ヤバ……ほんとに身体が動かない……。ここで終わり……? 嫌だ……!)
 血で包まれると暖かいと、初めて知った。これが自分の物でなければ最高なのだが。俯せに大地に倒れ込んでいると、視界の端で外套がはためき、目の前に老紳士の靴が現れた。
「……ね、ねぇ、お爺ちゃん、硬い玉座は腰に悪いよ。代わりに座ってあげようか? 誰かが上にいるのは気に入んないし」
「はっはっは、孫のような物言いはよし給え。さぁ、終わりだ! 呪わしい忌み子め!」
 顎を蹴られて仰向けにされ、突き下ろされる無慈悲な処刑の刃。T字の柄頭を掌で押し込む最高貫通威力の最速にて。最後の力を振り絞って咄嗟に両腕で掴んだ刀身が、じりじりと鋭い切っ先を喉に近づけてきた。
「貴様は路地裏で餓え死ぬ野良犬の如く腹を見せて死ぬのだ。この剣がその肉を裂く瞬間を瞳に刻み込み、存分に悔いを遺して逝けい!」
 揺るがぬ勝利を前にして勝ち誇る魔王が力比べをしながら、ランセリィ、ヴュゾフィアンカ、ギルバ、と順繰りに蒼眼で嘗め、鮮血に塗れた肉塊の所で視線を止めた。
「いやぁ、腐泥の王……再会できて嬉しいよ。しかもその無様な姿――最高だっ! ふむ、なかなか厄介な顔が揃っているではないかね。一挙に三匹も敵を片付けられるとはな!」
「……愚かだわ。私を弱らせたらギルバが自由になってしまうのに」
 息も絶え絶えに胸を押さえ、なんとか瓦礫の斜面に寄り掛かった享楽と猛毒の淑女が忌々しげに足元の小石をこつんと蹴飛ばした。
「瀕死の触手、如何ほどの敵か――!」
 嘲笑するザーバッハを更に嘲笑い妖紫のルージュがくっと口の端を吊り上げた。
「しっかりとお爺さまを捕まえておきなさいねぇ、ランセリィ……」次の瞬間だった。
 ――ドガアアアァァアァァァアアアッッァァァッッッ!!!
 何かがスイングしたのも刹那。ゴルフボールのように嘲弄の黝装が弾き飛ばされた。ピンである暗器剣が標的にしていた魔少女の手を裂いて抜けていく。痛烈なラリアートを炸裂させたのはゾフィアではなく――。
 ――イヒ、ヒヒヒ……ッ。
 遠雷の如く哄笑が聞こえる。
 ――イヒヒヒヒヒヒヒヒ…………ッッ!
 それは爆音となって響いた。
 ――イヒャハハハハハハハハハハハハハァァァァアアアアアッッッ!!! ザァーバッハァァァ、ザァァァァバッハァァァァァァッッ、ザァァァァァァァバァァァァァッッッハァァァァァァァッッッ!!! 殺してやるぞオオオオオォォォォォォォォォォォォッッッ!!!
 無数の釘の呪縛を逃れ、巨大な肉塊が蠢動を始めていた。
「瀕死ぃぃ? それは誰のことだ、ザーバッハァァァァ……クヒ、クヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! どうしたぁぁ、壁になど張り付いて! 潰れた蛙の真似か? キヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!」
 横倒しの机とテーブル化した塔の残骸にめり込まされていた老紳士が肩を引き抜き着地する。
「……ギィルゥバァァァ……何故、貴様に戦える力が残っている……っ」
 でなくば何故噴火の痕跡が残らなかったのか。魔神が全力で相殺したからこそで、そうして力尽きた所を魔物喰らいに襲われて捕えられた筈ではないか。中央まで達した裂け目から悪夢めいた汚肉を盛り上げて悪い冗談じみた子供が肉団子を作り直すような気安さで高速再生を繰り広げる腐泥の王の爆笑が、打楽器が投身自殺したかの如く大地に鳴り響く。
「キ、キ、キ! 魔王などとおだて祭り上げられてすっかり頭が錆びついたなぁぁぁぁっっ! なんだその手垢に塗れた陳腐な発想は! 喰ったのよ!! 腹の具合を損ね、弱った所をそこの小娘につけ込まれて無様を晒す羽目になったがなぁぁぁ!? キ、ヒャ、ハァァァァハッハハハハハハッッ!!! 昔から火はどうにも如何のだ! 不味いっっ!!」
 悪食ここに極まれり。およそ魔の世にあっても常識外の返答をした大怪獣Gは漲らせた力を周辺に爆散させた。太古より星の中核を巡ってきた火精の消化を終えた表皮は岩盤以上に硬くなり、軽く擦れただけで大地を深々と掘り返す。みっちり肉鉄の詰まった触手が自重を乗せただけで、倒壊家屋たちが悲鳴を上げて粉塵に還っていく。傲然と天に聳える巨大な単眼が第二の月の如き眼球をグルリと動かし、地を這うランセリィを睨め付けた。
「ラァァァァンセリィィィッッイ……貴様とシェリスエルネスには礼を言っておいてやる、お陰で往年の力を取り戻せたのだからなぁぁぁ!! こんなことならもっと早く我が母なる星に根を張るべきだったわ!! イヒャハハハッッ! 最早潜伏して策を巡らす必要など無いっ、殺してやるぞぉぉぉぉっ、ザァァァァァァバッッハァァァァァァァァァッッッ!!!」
 積年の恩讐が咆哮を上げる。廃都を割って次々と巨木の根の如き触手が鎌首を擡げ、まるで地底に溜まった膿を吐き出すかのように土砂の雨を降らせた。
「ふん、障害が一つ増えただけのことだ! 害毒の大本、ここで断たせて貰おうか!!」
 蒼味がかった黒の外套を闘牛の如く左手で掴んでソードステッキを構える魔王と、圧倒的なパワーを手に入れて怨念に滾る肉塊触手。
(って……こいつらいきなり横から入ってきて、何を勝手に始めるかな?)
 一呼吸し、心臓を賦活。少女は疲労の鉛をねじ込まれて重い四肢を叱咤して立ち上がる。
「――待ちなよ。主催者はわたし。その前で無礼は赦さない」
「引っ込めぇぇぇぇぇっ、小娘えええええェェェッ、こいつを殺すのは我だ――ッッッ!! 時の擦り切れるほどの太古からなぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「あはっ、そうはいかないね!! 最新で殺されかけたのはわたしなんだから、復讐権は上書きされるんだよっだ!! 生贄、眷属、G呼ばわり――っ、全員殺す!!!」
 ランセリィは力一杯、剣を大地に突き立てた。
「示せ、我がテリトリーッ! 舞台の中央に立つのは誰ぞ!!」その瞬間、魔神の根元から、凶鳥の肩背套の内から、魔王の帽子が作る影から、奇怪に拗くれた腕が伸びた。驚いて振り払われる傍から、瓦礫の物陰が次々と畸形の怪物共を吐き出し、辺りを埋め尽くす。
「勅命だ、出て来い眷属共! 脚光を貪る廃都の王の権威を世に知らしめよ!」
 半壊した都の中央の土の溝ハイウェイを軸に四体の魔が菱形を作って対峙している。知能無き暴虐の異形共、物言わぬ廃都の軍勢がその内ランセリィ以外を包囲しその場に釘付けにした。
「さぁて、わたしの前にいるのは、シェリスの初めての相手と、自称親友と、父親か……。目障りだな〜、全員消しちゃおうっかなぁ♪」
 移動を封じ主導権を握ってチラリと母親に目をやれば、数匹に捕まって強姦中。一本残った角を掴んで引きずり回され口腔に男根をねじ込まれる頼りなさ。(……シェリスの馬鹿)と内心呟いた少女は、それっきり頭から彼女の事を追い出して闘いに意識を集中した。
「何をするかと思えば雑魚の群れか。我々を一度に相手取って勝てると思うのかね?」
 抜き身の杖がチッチと振られるのに八重歯を剥き返し、魔神に向けて甘え笑む。
「ねぇ、ギルバ。ザーバッハとわたし、今敵対するならどっちかな。魔王がお伴一人で居る千載一遇、ゾフィアも入れて四つ巴なんて始めたらきっと損をする。逃がしちゃうかも?」
 わたしはそれでもいいけどね? 言外にそんなニュアンスを漂わせて脅すと、鼻を鳴らすように触手を蠕動させた巨体が、地響きを立ててザーバッハに向き直った。
「ギ、ギイイィィィィ……ッッッ……。……小娘に誑かされるのは癪だが、相手が相手だ……ヴュゾフィアンカを手に入れるのが早い者勝ちならば……まぁ、良かろう……ッ!」
「だっめ。ヴュゾフィアンカがわたしの獲物。むしろザーバッハなんかそっちにあげる」
 即席だが確実に有効な共同戦線。しかし窮地に陥った老紳士に焦りは見られなかった。
「良いのかな、ギルバなどと手を結んで。彼は卑劣な漢だ。頷いた傍から君を騙し討ちする算段を始めるような者だよ。そう、たとえば、古人曰く――」
 さぁ、死ね、とばかりに地を埋め尽くした廃都の眷属ににじり寄られても動じず、シルクハットの鍔を摘むだけ。それを追悼の如く目深に傾げる。
「――勝利を確信するその時、影を恐れよ――」
 その時垣間見えたザーバッハの怖ろしいほど蒼い瞳は、何故、あんなにも輝いていたのだろう。ランセリィが悟るより早く、答えは訪れた。――シャンッ。と細い針金が幾本も束なるような金属的な擦過音がした。全身にヒュンッと糸状の物が絡みつき、激痛が走る。
「ぐぅっ?! ミ……ミーちゃんっ?!」鋼線で首を絞められたランセは呻いた。それは紛れもなく地下拷問室から逃亡したミーティだ。死角を縫い怪物や瓦礫の作る影に溶け込みながら音も無く背後に忍び寄ってきていた暗殺者の握り拳が、状況が見えんのか、と驚愕するギルバの制止を無視してカラー・チョーカーの上に巻き付けた凶器を一層強く横に引く。
「お断りしますよ。こいつはここで殺しておくべきです」
 耳元で聞こえた筈のその声が、やけに遠い。
(ち、違う、ミーちゃんがギルバの命令を聞かないはずがない! 操られて――っ!)
「カハ、カハハハハハ!! 眷属の躾ぐらいしておけと嘲笑いたい所だが、素直に礼を言っておこう、ギルバ! しかし何をしたリトルG。随分と恨まれているように見受けるが」
 廃都の眷属を自分の元に呼んで蜘蛛少女を攻撃させようとしたが――。
「英雄劇の幕切れは大抵があっさりしたものだ。アディオス、ランセリィ君!」
 円筒帽シルクハットの真上に闇が収束していく。凝縮し切れず膨らんでいく珠は破滅の扉ブラックホール。世界を吸い込む奈落への井戸だ。総攻撃を仕掛けんと前に出過ぎていた怪物の群は、暴悪な口に吸い込まれ、あるいは大地に懸命にしがみつき、使役者の元には只の一匹も辿り着けない。
 ランセは慄然と理解した。ザーバッハは端から自分の手を汚す気など無かったのだ。
 封印の中のギルバが戦える状態にあることなど、とうにお見通し。故に一計を案じ、あえて無知を装ってこの状況を誘い、わざわざ身を囮にしてまで、ミーティに自分を殺させようとしている。――シェリスエルネスの恨みを買わず、手駒として扱い続ける為に。たとえ彼が原因となっても直接手を下したのが別勢力でさえあれば、魔神一党への憎しみを煽ることで後から幾らでも宥められる、という算段なのだ。魔王にしてみれば自分は正に獅子身中の虫。明確に敵対している腐泥の王より、下手をすれば質の悪い相手なのだろう。
 ゾフィアすら顔を顰めて大鎌を大地に突き立てて耐えるのが精一杯の嵐の中で唯一、盤石泰然と根を下ろすギルバが、大きく成長した黒い珠の頭上に巨大な触手を振り下ろす。
 ハンマーの轟音と共にブラックホールに罅が入った。
「ザァァァバッッハァァァァッ! 貴様、ミーティに何をしたぁぁぁぁぁァァァァァ!!」
「言いがかりはよして貰おう! それより大事な戦友を見殺しにするつもりかね?!」
 大質量で縦横に振るわれる触手。ザーバッハがピンボールをばらまくように無数に辺りの空中に配置した黒球が、重力操作で、その軌道を曲げていく。
 こちらに掌が向けられると、ランセリィの眼前にも小さなブラックホールが現れた。ミーティごと吸い込む気だ。触手の体表が色を失うという珍妙な光景を見物させて貰えた。
「ご安心下さい、ギルバ様。どのみち、命令に背いた罪はボクの命で贖うんですから」
 これほど効果覿面な駄目押しもあるまい。こいつを殺してボクも死にます、なんて、そんな心中は求めていないのだが。辛うじて首と鋼線の間に差し込んだ指は何時まで保つか。
「彼女もそう言っている。配下の要望は汲んでやらねばなるまいぞ、腐泥の王!」
 更に目の前の球体が、パパパッと擬音がしそうなくらい軽快に増えた。等間隔に黒珠が並ぶ様は網のようで、それはランセリィを殺すと言うよりも――。
「貴様っ、貴様ぁァっっ、ギィザァマアアアァァァァァァッッッ!!」
 投網にギルバが自ら突撃した。その巨体が防御陣に阻まれ削れていく。
「どうした触手団子、余はこちらだ。権勢の次は方向感覚まで無くしたか!」
 ザーバッハが肉塊の背中に向けて闇の礫を連射する。肉に埋まったそれの一つ一つが全てブラックホールだ。それを無視して魔神が、なおも投網に己から身を食い込ませていく。
「オ、オオオオノオオオオオレレレ゛レ゛エ゛エエェェェェェェェェェェッッッ!!!」
「ハハハ、どうしたどうした、折角取り戻した力が削れてしまうなぁ! ハ――ハ――ハ――! 仲間などを持つからこうなるのだ。この世に信用できる物など何一つ無いと思い知れ! 想いすら貴様を裏切り束縛すると後悔しながら死んでいけ!! さぁ、諸君、目を開けたまえ。この世の真理は何であるか、疾く悟りたまえ。き苦しむ、この泥沼の生に、安穏は無い! あるのは苛烈な闘争、熾烈な裏切り、ただそれのみ!! それこそが事実であり、命とはそうあるべきなのだ! この身は願う。世界よ報復と制裁に彩られよ、と!! 違う生き方は全て偽りだ。余の闘いはそれを衆愚に知らしめるためにあるのだよ!!!」
(これが……魔王……!)
 その凶暴なエゴこそが、最大のブラックホール。他者を蹂躙し尽くさずにはいられない悪の極みを目指す精神性。刻まれた皺の一筋一筋に籠もった歴史が導いた答えが牙を剥く。
「さぁ、愛すべき諸君、余の贈り物を存分に受け取ってくれ給え! 虚飾、偽善を廃した、剥き出しの世界の真実を、だ!! 刮目せよ、浴びるほど飲め、この美酒を!!!」
 傍観者を決め込もうとしたゾフィアの態度も許されず、掃射に揉ブラックホールのマシンガンまれて蠢く貪欲をグリーディ・タロット盾に耐えていたのが、遂に捌き切れなくなり悲鳴をあげて漆黒の流星雨の中に消されていく。
 大地が割れ、舞い上がる粉塵に廃都が隠されていく。一寸先の視界すら定かでない煙幕の中で、何故かランセリィの死を心待ちにする老人の眼だけがよく見える。
(炎が……出せない……っ)些かダメージを受けすぎて、堪らず膝を突いた。このままでは、首を落とされるのも時間の問題だ。半尖りの耳スティレット・イヤーをチロリと舐めてくるミーティ。
「復讐心と愛って似てるよね。君を殺せるならボクは何もいらない気分だよ……」
 目前で主君が死に瀕していることへの気遣いなど、全く感じられなかった。殺意に支配された暗殺者の手管が全身に鋼線を巻き付け、抵抗を許さない。マズイ。本当に殺される。その上、誤解のダシにまでされて。こんなことの為に産まれたのではないのに!
「わ゛たしッ、は……生きるん……だよ……お前たちなんかに……殺されてやんない……っ! 美味しい物……食べて、色んなお洋服着て…………まだ……まだ……ッッ!!」
 ――マダ、アイツニ並ンデイナイッッッ。魔姫をおいてけぼりにしていた方を見る。
(いない……?!)
 ザグリ、と不意に間近で音がした。
「……賢しい……真、似を……っ!」
 シェリスエルネスが虚ろな瞳をしてミーティを刺していた。ニットの胸部に左角が食い込んで皺の造花を牡丹の如くどす黒く染めていく。山羊状の捻れ幹を雫が垂れていく。気配がしなかった。否、消すまでもなく微塵の活力も無かったのだ。元居た場所を見ると怪物が絶命し、蛞蝓じみた這い痕がここまで続いている。あそこから虫の息で這いずって来たのか。獣の如き喘ぎが響く。眼は快楽の残滓でドロリと濁り、今にも焦点を失いそうだ。
(ち、ちが、う、騙されちゃ……っ! 嫌だ、よ……こんな無様なの嫌だよぉぉぉっ!!)
 喉を絞められていて声が出せない。その時、気づいた。シェリスの刺している部位に。
(わたしの……開けた孔……?)
「…………こ……の……糞ジジイ…………!」魔姫の呻きと共に蜘蛛少女が気を失い、あれほど硬かった鋼線がドロドロと溶けていく。角を引き抜くついでに紫髪の刺し手が、闘牛士を仕留めた雄牛トロの如く眷属を魔神の方向に投げ飛ばす。慌てて触手が空中でキャッチ。
「ヌ゛……恩を売ったつもりか?! それとも寝返る手土産の貢ぎ物か。流石にその男に愛想が尽きたと見えるなぁぁ。キッキキキ、見ろっ、貴様の娘は我に抱かれて虜となったぞ!」
「その程度なら……幾らでも……恵んで差し上げる……」
 力尽きた上半身を四十五度に曲げてランセの首筋に抱きついた魔姫が、一呼吸して叫ぶ。
「こんな決着で許せるほど、私の臣下の命は安くなくてよ! 私が門兵の霊前に捧げるのは、完全粉砕の大勝利!! お駄賃はあげたから出直してくるとよろしいわ!」
 そのまま娘を連れて飛び退こうとした母はしかし、脚を縺れさせて一緒に倒れ込んだ。
「う……ぅく……」
「シェリス……ッ」
 仰向けの細い肩にそれより幾ら周りか大きい肩が覆い被さってくる。焼傷を負いそうなほどに火照った肉は、内から沸き起こる淫らな衝動で詰まった動脈の如く痙攣していた。香油の汗を啜って腫れた黒衣は魔悦に堕ちた幽鬼の衣の如し。
 のろのろと手を上げたランセの親指が脇腹に触れると、それだけで鞭の打擲を受けたかのように彼女が身を爆ぜさせる。電気ショックを浴びた蒼眼が断線寸前の明滅を見せた。
「う――ぅぅ……ぁ…………っ」
 快楽の激流に飲まれて溺れそうになる紫髪の少女が大岩にしがみつくようにしてランセリィを掻き抱く。今のシェリスエルネスは理性を越えた物に突き動かされる生ける屍だ。
「……こんな身体で無理してさ。酷いよね。わたしの時は立ってくれなかった癖に」
 その声すら耳に届かないほど、今のは辛かったようだった。折れた角の痕を固く握り締め、聞くだけでこちらの魂まで磨り減りそうな嗚咽を漏らす。
「……主君でもない……、母親にも届かない……。……私はとても卑しい雌の肉塊……、……それでも、この指は、まだ動く……動いてしまう……っ!」
「カカカカカカッッッ!! 如何にも絶望など我らには温すぎる! しかも、たかが角一本、貞操一つで、そんな物は到底覗けぬわ! 我らは血泥で蠢く羅刹よ。息を吸うが如く希望を断たれ、嗤いながら修羅道を征く!!」
 外跳ね黒髪ベリーショートの耳元で熱い息を吐く獣の譫言を嘲笑い、ザーバッハがゆらりと背後に立ち現れた。四翼の根元ごと母娘が踏みつけられると互いの胸が潰れ、被虐の揺籃に挟まれた魔姫が敏感な肌を駆け巡った電流で呼吸を忘れて悶絶した。
「〜〜〜〜〜〜ッッ!! ――ぃキィィッぐ、ふぅぅぐぅぅぅぅぅうううっっっ!」
「然るに何だその様は。Gを守る為、その前は臣下の仇を討つ為。挙げ句に敵に手を差し延べる。君は自分の為には戦えぬ臆病者かね?」
「ひ……っ、ひがぁぁぁ……! あ゛……ヒ……ッッ」
 雨に濡れて垂れた野良犬の耳の如く蝙蝠翼を萎れさせて白夜の娘に覆い被さる闇の少女は、それでも人語を忘れていない。ランセリィを見た潤んだ瞳が、一種壮絶な光を放った。犬歯が噛み合わされ、奥歯が不気味な低音を立てる。
「ぁ、ぁ゛……臆病で……ぅぐ、……結構……。私は、す、既に完璧……ですも、の。私欲のために――あくせく戦う必要なんて……っきゅ……ぁ、ありませんわ……っっ」
 老紳士の靴の踵が黒衣の背中に錐のように沈んでいく。シェリス越しにランセにも憎しみの籠もった重圧が伝わってくる。吐息の濡れた女肉に氷が混ざり頬の横に腕が突かれた。
「――フぅ、ぅ゛っ……私は不義理が許せませんの……立派に戦った門兵の遺体を汚す行為も、その仇も討たずに安穏と過ごす主君も――ぁがハっ――、最高位を目指しておきながら爪も伸びていない幼子の命に固執する魔王も、酷い産み方をしておいて世話も護りもこなせない母親も、実の伴わぬ言葉を吐き出す己の口も――!!」
 何もかも。放たれた怒りの波動に全ての光が怯んだ。晴天の月が翳る。リング状に土埃を広げる清冽な闇の霊気に当てられた眷属が、やおら噎せ込み黒いヘドロを吐き出した。
「……ミーティィィ……、敵として立ち塞がったなら、最後まで我が敵として立ち塞がり散りなさい……。ザーバッハの手駒と堕すなど、許しませんわ…………」
 羽でザーバッハを打ち払いながら、姦獄の業火に焼かれる牝獣の肢体が持ち上がった。
「まるで子供だな。ガラクタを大事にして悦に浸るとは、レディの嗜みにはほど遠い。そんなことでは夜会には連れて行けんぞ。……企みに勘付いたなら付いたで、ミーティに殺害された事にして余に阿れば良かった物を、楽しい所を邪魔しおって」
「私の衣裳を彩る宝石はそのガラクタですの。幼いのはどちら? こんな相手の力に怯えて削ぎ落とすような卑劣な戦いをなさって。低級な社交場の仲間入りは御免被りますわ」
 傍の尖塔の骸に鞭を巻きつけ、右手に握った柄を膝の間に打ち付けるように叩き下ろす。椅子に座り掛けの如き中腰の内股で跼ってしまうのを、ピンと張ったそれに縋って支える。
 大気すら彼女にとって有害だった。立っているだけで溶岩に漬けられ艶めかしい舌に這いずり回られる気分にされてしまう。外見を取り繕う余裕は一切無く、敵を前にしているというのに絶え間なく口腔に湧く涎が顎から流れた。目元に真紅が掃かれ、視界が霞む。
(それでも……戦わなくてはなりませんわ……こんな身体でもまだ動くのだから……っ)
 子宮の烙印が脈動して熱く疼く。貴様の本性を思い出せ、と。背後の怒ったようなランセの気配と敵たちの視線。前に魔王、左に凶鳥、右に魔神。舞台の中央に立たされているかのような錯覚。一瞬意識が断絶した。咽頭を塞ぎそうになった唾を懸命に飲み込む。
「疾く消えろ。ここに貴様の求める誇りなど欠片もない。余が存在を許さん」
「……百も承知……だけど私は示しますの……」
 行動を伴わない言葉は虚偽であるが故に。
(そうだ……わたし、こんなシェリスが見たかったんだ……)
 卑猥な淫気とも呼ぶべき物が立ち昇り、紫髪の魔姫の姿を陽炎の如く揺らめかせている。それに抗い飢えた山犬の如く忙しなく上下する肩を見て、少し心臓の鼓動を五月蠅く感じたランセは甘える代わりに棘を含んだ声を掛けた。簡単に軍門に降ってなど、やるものか。
「……助けてなんて頼んでなーい。何の点数稼ぎ?」
 それを聞いたシェリスが薄く微笑んで、途切れがちな口調を整えようとする。
「――私は常夜の荒野を統べる闇。どこで日が昇ろうと我関せず、おいそれとは動かない。ただそれだけだと退屈だから、時々出かけて行って気に入った相手に娘だからでなく肩入れして遊んだりするのですわ。そこに相手の都合など、一切関係がありませんの。第一、私は獲物で貴方の敵だもの? されて嫌なことをして当然ではないかしら」
 気紛れに力を貸すという言葉が嘘ならば、気楽さも仮面だ。その為に彼女は腐泥の王と闘い、今、復讐と刑罰の魔王の眼前に立ち塞がっているのだから。ふらつく足元は蹣跚酔歩。気取った物言いで誤魔化していても、とっくに戦える身体ではない。それでもシェリスがわざとらしく髪を掻き上げると、真っ赤に紅潮して汗に塗れたうなじが覗く。
「まぁ――ゥ、飽き、たし、あれこれ……世話、を焼くのも、これで最後にしましょう」
「……ちぇ。最後って聞くと何か惜しいよ。さっきがっかりさせた分、サービスして?」
 水平以上に上がらない翼が、お茶目めかして振られた。風の慰撫に打ち震えただけにも見えたが。赤い靴が一度しっかりと大地に靴底を合わせ、その背中が弱々しく深呼吸した。
「なら、誓いを交わそうかしら? 貴女があそこの真田虫と決着を付けるまで、邪魔を排除してあげますわ。代償はそうですわね……この場でザーバッハと戦う権利を頂こうかしら! 一人前扱いする最終試験。存分に狩りの練習をしていらっしゃい?」
 ランセリィが思っていたより遙かに小さな背中を支えるのは孤高の気品。何者にも媚びず、如何なる価値観にも惑わされず、想う所を為せる意志。取るに足らない臣下の忠誠。祝福されぬ命の決意。決して賞賛されぬそれらの為に立ち上がれるのだ。
「それで貴様は何を得る。我らは己の報酬のために独り戦うべきだろうに」
「私は何も求めない。この刹那に誇りが在れば、それでいい……」
「よもやシェリスエルネス、善行を積んでいるつもりではあるまいな! 我ら余人の可否を問わず、賞讃を求めず、ただ荒れ狂う魔性のまま奔放に振る舞うのみよ!!」
「もとより!」
 それは純粋ゆえに破滅的。己が身をすら軋ませる強情。
 傷と屈辱だけが増していく茨の生き方だった。
「貴方は勘当ですわ、ザーバッハ。優雅な私が少し修正して差しあげる……!」
「カハッ、些か言うようになったか! だが、軽口にしては聞き過ごせん。認める訳にもいかん。それは余の望む世界には害毒にしかならぬ思想だ。――無念だぞ。あの様で勘が働いたことも、そこまで明確な反逆の意も」
 卑しい世界を愛する魔王と、決してそれと相容れぬアウトロー・プリンセス。全てを呑み込み漆黒の内に浄化する奈落への井戸と、猛々しく渦巻き全てを破壊して突き進む豪の竜巻。互いが剥き出しにしたエゴが対峙する。
「見ていなさい、そこのミクロフィラリア。私の戦いを見せ……て……っ!?」
 犬歯を剥いた魔姫が、無数に孔を穿たれ囓りかけのエメンタールチーズにされた大地から這い出して攻撃が止んだのを幸いと欠伸をしていたゾフィアを鋭く見やった所で、その脚が崩された。いつの間にか、ザーバッハの足元から忍び寄った軟泥の如き闇が腰を撫でていた。ブラックホールに続く魔性のもう一つの顕現を披露して老紳士が酷薄に忍び笑う。
「華を壁に塗り込めブラック・モルタルよう。最早一人では立てぬ身でよくぞ。思い残しはなかろう」
 融解した黒硝子の如きそれは身を引き延ばして帯状になりながら、たちまちシェリスの肢体に纏い付いた。腰の輪郭を脂肪の丸みを確かめるようになぞってくる。涎が幾条も筋を作る顎を撫でられると、鼻先にとても己の物とは思い難い粘った蜜の芳香が薫ってきた。
「ぁふ、結局また立ち上がって目茶苦茶にされたいのねーぇ。お前って真性のマゾね!」
「くっ……! ゾフィアッ、この疫病神……本当に、昔から……ッ! き、ひ…ニ゛……ィ……きァゅふ……ぅぅぅう……ぅぅぅううぅぅぅっっっ!!」
 迂闊な隙を悔いる暇もなく、四肢に巻き付いて急速に形を為していく拘束具に局所を圧迫されて、一瞬で極上のアクメが貴身を嘗め尽くす。そこだけ地震に見舞われたかのようにガクガクと脚が痙攣し、ショーツから噴き出した愛液が内腿に染み込んだ。
 ゾフィアのヒールに押し込まれてスカートの黒生地を貪ったままにされていたアナルが収斂し、ランセリィの目の前にあるというのに耐え難い香臭を放ってしまう。太腿の痙攣が伝わって開閉した臀部の谷間が、残りの布をずるずると挟み込んでいく。
(だめっ、堪えなければ! 逃げてはいけませんわっ! これに勝たない限り私……っ)
 咄嗟に侵犯者を引き千切ろうとしたシェリスの指が、寸前で思い止まった。敵わないからと背を向ける訳にはいかない。自分は淫靡に膝を折るような惰弱であってはいけないのだ。憎しみを篭めて掴み、性衝動を自分の体内に封じ込めんと、逆に強く押しつける。恍惚を示す曲線に歪んでいく眉が、眉根を寄せて不快の意を露わにするか、眦を下げて淫蕩に浸るかで激しい葛藤を見せた。堪らず口腔でうねる柔舌が、舐めても恥ではない場所を探して、そもそもそんな事はしてはいけないと気づいて愕然とする。
「はぁ……ハぁ……ぁぐ……ッ!」
 歯を食い縛り、上目で敵を睨みつけながらも俯いてしまう。紫水晶の如き色合いの前髪の叢から覗く眼光は、媚びる狐か窮鼠か。それを面白そうに片眉を上げて眺める魔王。
「まるで心までは堕ちていないと言わんばかりの風情だな、シェリスエルネス」
「……し、死ぬのは動けなくなってからで遅くありませんの。心と爪が残っている限り何かを為せる……誰の嘲笑を浴びようが、これ以外の生き方は自分に許していませんわ!」
 首筋を昇ってくる鰻を握り締めて、肌に吸着されるのを耐えつつ魔姫が咆える。
「口ほど心を裏切る物もないぞ。はてさて、相手のやり口に合わせて忍び難きを忍び抜くことが先に繋がるものやらな」
「その手の揺さぶりには……乗らなくてよ……ッ」
 デュラハンの死の宣告の如く嘲弄混じりに指が上がり、シェリスエルネスを指し示した。
「では、何故耐えるばかりで反抗しない?」
 人を殺める言葉は常にシンプル。万の華飾を貫き真実を晒す。
「そもそもヴュゾフィアンカにランセリィを人質に取られた時だ。貴様、己から凌辱される道を選んだな? なるほど閉塞的な状況だった。名目としては素晴らしい。ぽっかりと空いた逃げ道に兎が狩人に追われて飛び込む程度には。いや、そもそも、あの時凌辱を回避する手立ては本当に何もなかったのか、考え給えよ」
「私が……うさ、ぎ……?」
 徐々に好冷菌の如く魔姫の顔に理解の色が浮かんでいくのを観賞しつつ魔王が重ねる。
「過ぎ去った過去を糾弾するのは卑怯だとでも詰るか? ならば、現在の話をしてやろう。どうしてこちらに攻撃をしてこない」
「そ……れ、は……これを先にどうにかしなければ……何でもないって、証明……」
「大本を断つのが先だ、阿呆ぅ。我が血脈に連なりながら何を学んできた。左腕一本と帯の数、受け身ならじり貧で負けると子供でも勘定出来ようが。行動が内向けば畢竟敗北」
 そして、ゾッとする笑みと共に決定的な言葉が放たれた。
「『耐える』などと言い訳を見つけて君は凌辱から抜け出す努力を放棄している」
「あ――――」とシェリスの上体がグラリと傾いだ。それは亡霊が、己が既に死亡していることを初めて告げられたかのような貌だった。
「愚か者め、最初の一歩から既に貴様は屈していたのだ! 心が調教済みなのだよ、身体よりも先に!! 貴様が見下した臣下共の忠言を思い出せ。愚者の言葉の中で唯一光り輝く曇り無き真実を! そこでそうしていることが既に間違いだ。貴様のようなマゾ牝の勝利する道は凌辱されぬ所にしかないのだっ。こちらに攻撃してこい。耐えるというのはその時初めて価値が出る!! とうに誇りを失ったその心身で、己を聞こえの良い言葉で謀りながら何を闘うなどとほざくか!!!」
「あ――あ…………!」それは全てに於いて敗北した少女の上げた、瓦解の音。それでも立とうとしているのは惰性に過ぎない。足元を崩された魔姫にザーバッハの闇が殺到する。
「余の耳に冥府から怨執の滾りが届くぞ! 無理解な主君、迎えさせられた無意味な死。貴様に仕えたのは全て無駄だったと嘆き呪う恨みがな! ハハハ、些か小さな魂だが、興が乗った。それを代価に願いを叶えてやろうか!」
 ザーバッハの周囲に生まれた闇の中に浮かんだ顔の群れは――。アーメット状の頭部。継ぎ接ぎだらけの巨漢。ラッパ型の口吻を持つ小男。
『オ、オオ、ォ、オゥレタチガ、タ、ダダダ、正シカッタァァァァ!!! ゲヘ、ゲヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘエエエエエエッッッ!!!』
「あ、貴方たち……?!」
「救い難い凡愚の逆恨みとて、等しくナイフを持つ権利はあろうよ。――復讐と刑罰の魔王ザーバッハの名に於いて、果断厳正なる裁きを執行する! 汝、暗闇の汚泥を啜り報復の刃を振り上げよ、然る後に汝、破滅の色香に酔い痴れ朽ちるべし。それはすなわち報復の輪廻、世を廻す永劫の機構である!!」
 魔王に挑む勇者から一転、裁判官の前の咎人に立場を変えられた魔姫に、かつての臣下たちが己らの姿を闇に浮き上がらせて獰猛と襲いかかった。喜々としてザーバッハに魂を貪り喰らわれながら伸びた黒い腕は石油を浴びたかのように雫を垂らし、精液じみた欲望を滴らせて恥知らずな乳鞠に五指を突き立てる。鷲掴みでも収まり切らない乳量を帯が掌ごと幾重にも覆って封じ、戦車のキャタピラのように回転し始めた裏地で責め立て始めた。
 己の身体に巻き付く漆黒のベルトを引き千切り、暴れるシェリス。唇を奪った誰かの頭部が歪んでいき、ポールギャグとアイマスクに変化した。ヘドロで滑って支えの鞭から手を離してしまった少女は、左右から強行されるテーピングによって、膝、踵、爪先を一纏めにパックされ、拘束具に立たされながら巨大な腕に握り締められるかのように身を捩る。
「ぁぐっ! ち、違うっ、私はまだ戦っているっ、屈してなどいな――ア゛ゥッ!!」
 怨霊の舌なめずりに呑み込まれて全身拘束を受ける寸前、右腕が上がり、ザーバッハに向けて闇の竜巻を放とうとし――音も無く間合いを詰めた魔王に鳩尾を刺されていた。
「貴様のやっていたことは全てこれに帰結する。自分はよく負けるから今から死ぬ練習をしておこう、とな。なるほどヴュゾフィアンカは他者の絶望に縋る寄生虫だ。だが貴様はそれ以下だっ! 蝿にすら孵化できぬ蛆虫めっっ!」
「ア――アアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
『アンナニヨガリ狂ゥテテヨヨ゛ォォォォォォッッ、イマサラ何様ノツ゛ツッツ゛ラダ、牝ガキイイヒイイイイイイィィィィィィッッッ!!!』
「カカカカカカカカカカカカカカカカッッッ! 分を知れぃ我が十子の七!! 悩み悶える貴様如きが余と闘争をしようなどと、未来永劫早すぎるっっ!!!」
 そう言い捨てたザーバッハが杖剣を振ると、まるで枯れ木の先の葉の如く軽々と浮かんだ少女がゾフィア寄りの方向へ放り棄てられた。同時に空中高くに放られてクルクルと回転したステッキの柄が、身動きを封じられた彼女の傷に刺さって深く地面に縫い止める。
「貴様も余の世界の一部に過ぎん。暫くそうして居給え、ガラクタめ。これでも我が身は口先だけの存在になる覚悟があったのだ。それを悉く裏切りおって。二度も行く手を阻んだからには心を決めろ。思いつく限りの残酷な方法で殺してやる」
 翼持つ勝利の女神のレリーフが浮き上がり、何対もの幻影のスパイク羽をバドミントンのシャトルを逆さにしたように展開させてシェリスエルネスを刺し貫き、光の牢獄に閉じ込めた。
「全く。売女に挑まれるとは、それこそ魔王の名が地に墜ちる」
「フン、シェリスの防壁は紙でした。寄生虫の頭じゃ、笑う所か判断に困るわねーぇ」
「キッキ、便利な奴だ、ミーティは有り難く受け取ったぞ?」
 三方向から三者三様の蔑みが壊れた少女に降り注ぐ。ただ一点、背後からは何もない。
「えへ……えへ……えへへへへへ……!! 格好良いなぁ……シェリスエルネスは……っ」
 掌が血で滑る。傷ついた身体に鞭打ったランセリィは緋雫の垂れる身体で這っていた。そしてゴールの柄と幻影旗を叩き壊すと、親亀の上に子亀が乗るような格好で覆い被さって喜びを籠めてキスをする。目隠しを剥ぎ取ると、虚脱し曇りきった蒼瞳が見上げてきていた。
「ヒーローじゃあるまいし、颯爽と出てきていきなりやられてさ、そんなに人の同情、引きたいの? 『好きだ』って言わせて慰めて貰いたいんだねー。壊れるぐらいに必死な所、力み過ぎて失敗しちゃう愚かさ。全部ひっくるめて、母体だからじゃなくってね……?」
 抱き上げると拘束されたシェリスの口がランセリィの腹部に涎を散らす。
「消えろ、糞共……ッッ!」と醜悪に蠢動する闇を焼き払うと、すっかり蒸され上がった黒衣のムニエルが現れた。何か言おうとする紫砂の君の唇を強引に奪って黙らせて、己の不甲斐なさを恥じるあまり乱調をきたした母体の唾液の味を舌に染み込ませる。
「きっとねー、わたしにとって本当の毒薬は貴女……だけどいいよ。飲み干してあげる」
 好戦的な胸の動悸が収まらない。乾いた薪に火が灯ったような恋心が。自分と孤高の正道は方法論で相容れない。それでも、いつか破綻するその時までは一緒に――。
(覚悟はさっき済ませた。とっくに道は選んでる……っ)
 生き残っていた廃都の畸形共が、王以外の誰かに命じられたかのように姿を消していく。
(見限られたかな? 名前、聞いてなかったけど)
 ゆっくりと志の残骸に心臓の鼓動を同調させると、制御不能な昂揚が胸を焦がした。
「産んでくれてありがとう。誰のお腹から出てきたって、こんなに駄目で、わたしをハラハラドキドキさせてくれる母親はきっとシェリスエルネスだけだよ!」
「……ぐ、……うぐぅぅぅぅぅぅぅっっっ!?」
 ランセの影から噴出した触手群が魔姫の堅牢なスカート幕に飛び込んだ。小躯の娘に抱かれ犯され血絃と黒が藻掻き悶える。これは自分の物だとばかりに魔少女はそれを敵に見せ付ける。
「シェリスはさー、何も間違ってないよ。単に勘違いしちゃっただけ。だけど、わたしがこんなに大好きなのに誰にでもそんな顔を見せちゃうのは、ちょっと大失敗かなーっ!!」
 憤激に任せて邪悪な笑みを浮かべたランセリィは、己の薬指を母体の米神にあてがった。
「でもねー、これからは、それはわたしだけのものっ。全部だよ、シェリスの全部、わたしが独占するんだ♪ あんな奴らよりわたしを見ようよーぉ♪」
 指先が地肌の熱い体温に触れた所から相手の中に溶けていく感覚。融解が根元まで進むとそれは無数の神経糸の束となり頭蓋腔に広がって魔術的に対象の脳に絡みついた。正しく樹木の根が水を吸うが如く魔姫が培ってきた経験や知識が奔流となって流れ込んでくる。
「ぁ゛――あぁあ――――ぁがああああああああああああああああああああっっっ!!!」
 ついでに脳内麻薬に手を加えられて常軌を逸した快楽に晒された隻角の少スカーホーン女が、明らかな苦痛の表情で、見開いた眼から涙のバケツをひっくり返した。
「可哀想だね、シェリス。こんな優秀な子供に知識を全部コピーされちゃったら、もう価値無しの抜け殻同然だよね。でも大丈夫、わたしだけはずっと相手をしてあげるよ?」
 その歩んできた歴史を味わい記憶を舐め、シェリスエルネスと同化していく一体感。
 この方法は相手が間違って覚えていることも吸収してしまうがそれでもいい。こんなに大量に啜ったら人格まで変わってしまうかもしれないが、この女の物なら構いやしない。
「頑張ってよ、シェリスエルネス。協力はしないけど、応援はしてるんだからさ」
 やがて存分に搾取を終えたランセリィは、釘を打たれた魚のように痙攣する粘液に塗れた濃紫の髪を強引に膝枕の上に乗せ、ぐしゃぐしゃと撫でてから立ち上がった。
「今は寝てて良いよ。後はわたしが全部やる」
 持ち上げる力すらなく長剣の切っ先が地面を擦る。
「ごめんね、ギルバ。気が変わった。わたし一人で全員倒すことにしたよ。その蔑みの報いを受けさせてやる」
 疲労の重りを提げられて下がってしまう顎を、グンと上げて意地を張る。
「咆えろ煌月、燃えろ天! 今宵をわたしの想いで焼き尽くせ!! 我が墓標に刻め――名はランセリィ・K・シェリスエルネスッッッ!!! 月性焔属の魔性なり! 三千世界最強の魔性の美少女! 勝てぬ敵など根絶皆無!!」
 莫耶の先端にマッチを擦ったような小さな火が灯り、たちまち刀身を舐め尽くした。しっとり濡れた黒髪が照らされるなり大地を銀袮の玄裳が駆け抜け、朽ちた外套に激突する。
「――まるで、わたしがメデューナに嗾けたのが悪いみたいじゃないっ、鬼舅!」
「なぁに、余が雪辱戦を否定する物か。続きがいかんのだ。あの阿呆娘、たかが一度の勝利で浮かれすぎた。ヴュゾフィアンカの口車に乗るとは、愚が過ぎる。――貴様の罪は産まれ落ちたことその一点! 我が名に賭けて敗者は一族郎党末子に至るまで抹殺する!!」
 打ち鳴らす剣の鍔迫り合いで火花を散らし、互いに焔と闇を叩き込む必殺の間合いを伺っていると、今度は交差する鋼のX字に触手が絡みついて纏めて肉塊へと引き寄せてきた。
「動くかっ、死に損ないが!」と魔王が裏拳気味に拳を振るえば、それを何十倍にも巨大にしたような不可視の圧力がギルバを吹き飛ばす、刹那、「死んぢャえっ!」とランセは横っ面に頭突き。反撃のザーバッハの蹴りと腐泥の魔神の触手が同時にヒットしてきた。
「やぁ〜ん、ギルバ、律儀すぎぃっ! わたしノリで言っちゃっただけだから、やっぱり協力してザーバッハを倒そうよ!」
「キッキッキィ、奴の言葉は実は正しい。もとより我は不意を突いて貴様も倒す腹積もりよ! というかアレだ。身勝手にほいほい同盟を結んだり破棄したりする世間知らずの小娘には仕置きが必要だろうナァァァ!」
「ッ――――――シェリスエルネスに触るなッッッ!!!」
「キィィ――――――ヒッヒィィィィッッ!! 恩には汚辱で報いる、それが我よ!!!」
 倒れ伏して動かないシェリスにも伸びようとする触手をランセが月光焔で灼き切ると。
「アッハ、大混戦ねーぇ! だけど社交ダンスじゃあるまいし、雁首揃えて馬鹿みたい! 私は三文芝居に付き合わされるほど暇じゃなぁいのーよねーぇっっ?!」
 突如ゾフィアが哄笑を上げ、暴虐な嵐が巻き起こる。彼女が回転させて頭上に放った斬首のジェミニが、剣呑な惨殺円盤の姿勢を保ったまま宙に留まって二つに増えた。二つが四つ、四つが八つ、八つが十六夜……。無限に増殖した風斬りの轟音が大気を揺るがす。
「ハァイ、ヴュゾフィアンカ様の大復活! 足留めご苦労様だったわ、愛しの下僕クリーチャーズ達!」
 鋼鉄の蝿の大群を従えた淑女が投擲したまま上げていた白手袋を振り下ろすと、雪崩打って降り注ぐ双頭の大鎌にザーバッハやギルバの姿がかき消されていく。そして腕で顔を覆い砂礫から目を守るランセの前に夜駆菫の裝が現れた。左指に二枚の占札を挟み、右腕で正面から抱き寄せ、胸の谷間で窒息させてくる。「ぅくっ! 邪魔だ、ゾフィ――」
「忘れないで貰おうかしら、最初の対戦相手を! お前が想いで夜空を焦がすなら、悲嘆の雨を運ぶ私は暗雲。雲霞の如き絶望を率いて今宵お前を凌辱し尽くすの!!」
 ランセリィを捕まえたゾフィアが、ザーバッハとギルバの居た方向に振り返る。
「そこで永久に殺し合っていると良いわ、お二人さんっ!」
 次いで札を摘んだ二本指を使い、鈍色の嵐から覗く大地で藻掻くシェリスに投げキッス。
「ふーぅ、やっぱり私じゃ、まだ魔王の相手は辛いみたい。この子とバカンスに行ってくるから、後はよろしくねーぇ?」
 鎌風の奥から撃ち出される黒珠と、伸びてくる触手をからかうようにカードが振られる。
「我らを喰らえ、グリーディタロット!」
 その絵柄は、『鏡に映った己に剣を突き刺しストレングスて絶命している戦士』と『寝食を忘れて書物を貪り読み、骨マジシャンと皮になっていく魔術師』。
「覚えるのが大好きなお前に地獄を創ってあげる! 汝は己が力によって沈むがいい!!」
 ランセの視界が札から溢れ出す鏡に塞がれる。そして二人は廃都から忽然と姿を消した。



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